ヘリオポーズの風(第4話)
『皆さま、長らくのご乗船お疲れ様でした。当船は間もなくタイタンの軌道に入ります。下船、上陸なさる方はそろそろお支度…』
 船内アナウンスの声に、ウトウトしかけていたピーターはびっくりして跳ね起きた。
「タイタンって? 次はエンケラドゥスだとばかり思って…。だって土星からの距離がタイタンはずっと遠いのに。」
 目の前に座ったハリソンが、そんなピーターの様子を面白がってホロ・カメラを向けている。
「ちょっ…ハリソン先輩、撮る前に教えて下さいよ。何で遠い方から回るんですか?」
「まぁ、宇宙旅行初心者にありがちなカン違いだけどな。」
「そうねジェイク。」
 ハリソンが隣のシーサリア人に顔を向けたので、サリアも頷く。
「あれだよピーター、楕円軌道のマジックってとこだ。」
「楕円軌道のマジッ…あっ、そうか!」
 ピーターの声が大き過ぎたため、はからずも衆目を集める羽目になった3人は、思わず肩をすぼめて縮こまる。
「分かりましたよ先輩。衛星が直列のまま惑星を廻ってるわけ、ないですからね。」
「その通り。今回の場合、タイタンまでの直線距離に障害物がないことが大きいみたいだな。」
「エンケラドゥスの方はちょうど土星の裏側に入りかけてて、小惑星も邪魔してるし、コース設定がちょっと厄介みたいね。」
「…いいけどサリア、何で君までヒソヒソ声で話すんだ?」
「…じゃあ、あなたたちはどうして?」

 船がタイタンの港に着くと、先ずテラフォームされた南半球の有名な繁華街でショッピングを楽しみたいという2人といっとき別れ、ピーターは宙港カウンターにあるレンタルショップにスペーススーツを借りに行った。
 店員にタイタンの環境なら簡易型で充分と言われ、その場で身に着けるとそのまま、テラフォームされていない地表に出られる西側出口に向かう。
 建物の外に出ると急に身体がひんやりして、スーツの温度調節機能がフル稼働し始めた。
 何歩か前に進むと、黄色っぽい霧のような薄いメタンの大気がまとわり着いてくる。ピーターはその黄色い霧を透かして見える星空を見上げた。
 太陽からこれだけ遠いと、その恩恵にほとんど与れないようで、宙港のある北半球は現在昼間に当たるはずだが、タイタンは常夜の国のようだ。
 薄ぼんやりした黄色い大気の向こうに星々の密集した銀河の腕が横たわり、それだけはお馴染みだが、あとはどこにどの星があるのかまるで分からない。星空という括りでは地球と全く同じなのに、その配置が異なるだけで掻き立てられる不安をピーターは実感していた。

 自分は今、全くの別世界にいるんだ。

 それは、ピーターが生まれて初めて味わう感覚だ。故郷地球にいる時には安心し切って鈍ってしまっている未知の感覚器官が一斉に目覚めるらしく、宇宙服に守られているはずの肌がチリチリと粟立っていく。
 そのざわざわとした不思議な感覚の中で、ピーターはいつしか故郷の両親のことを思っていた。
 翼を折られベッドに括り付けられた父と、その父にしがみ付く生き方しか知らぬ母。世界はこんなにも広大なのに、彼らはどこにも行けないのだ。たとえそれが、彼ら自身の選択だったとしても…。

『…ようピーター、どうしてる? 俺たちそろそろ港に戻るけど、どっかで落ち合って夕食にしないか?』
「ゆ、夕食って、もうそんな時間ですか? 今出てきたばかりかと…。」
『何だかえらく雑音入るなピーター。どこにいるんだ、大丈夫なのか?』
「ああ、済みません。雑音はホリゾントの外にいるからですよ。大丈夫、初めての感覚でちょっとびっくりしてるだけで…。」
『何と、外へ出たのか! でも分かるよ、その感覚。故郷を離れるってこういうことなんだと実感できるだろ。地球にいたんじゃ、結局どこに行っても1Gの重力と1気圧の大気が守ってくれてるんだもんな。』
「本当にそうですね…。人類ってどんなにもろい種族なのか実感してました。」
『ホリゾントの外ってことは西側出口だな? そこまで行くから、そろそろ戻って来いよ。おいサリア、今夜はピーターから面白い話が聞けそうだぞ。』
『…私も分かる気がするわ、ピーター。人恋しさで肌がざわざわする感覚とも、また全然違うのよね。』
「そうなんです、サリア。ひょっとすると武者震いの方に近いのかも知れない。宇宙って、自分の全存在を懸けて立ち向かわなきゃならない場所なんだって思い知りましたよ。」
『もうすぐ着くから、続きは夕飯食いながらってことにしないか、お2人さん?』
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