Whole Heart(第1話)
アンドロメダ;

 自動ドアの開閉音にローズが振り向くと、見慣れた赤毛の男が入って来たので彼女は微笑んだ。
 人工の光の海に浮かんでいるような、超高層ビル最上階のラウンジ・バーが、彼女の仕事場だ。
 大柄な男が5人も並べば一杯になってしまう小さなステージの端にグランドピアノが置かれ、ピアノマンの伴奏をローズの透明な伸びのある声が追いかけてゆく。
 赤毛の男はウェイターの持って来たピンクがかった紫色の液体の入ったグラスを掌で揺らしながら、目を閉じて聞き入っている。
「ちょっと休憩。」
 たて続けに3曲歌い終えたローズは、ピアノマンにそう告げるとステージ裏の楽屋にいったん引っ込み、楽屋のドアからフロアに降りて赤毛の男が座るテーブル席にゆっくりと近付いた。
「今晩はピーター。今夜は一人なの?」
 彼女がそう尋ねてもピーター・アレンは顔を上げず、掌に乗せたグラスを見つめ続けている。
「…ひょっとして…トムを思い出してた?」
 その名を聞いてとうとう顔を上げたアレンの視線がローズの瞳を捉え、彼はとたんにきまり悪そうな照れ笑いを浮かべた。
「そうだった。あんた等シーサリア人はエムパスだったっけな、ローズ。」
 そんなアレンに悪戯っぽい笑みを返したローズは、許可も得ずにアレンの向かいの席にストンと腰を降ろす。
「…でも今夜は…どうもそれだけじゃないみたい。もう一人、忘れられない誰かの想い出が甦ってるからかしら…?」
「惑星ネルヴァを知ってるかい?」
「話には聞いてるわ。夕陽がとっても美しいって最近評判の観光惑星でしょ?」
 アレンは彼女が知っていたことに安心したようにひとつ頷き、
「今となってはな。俺が取材で訪ねた5年前は、まだどのメディアにも紹介されてなかったから、客が増えるちょっと前の話だけどな…
 出会ったのがキリアンって若者で…当時まだ大学生だった。俺の専属ガイドをつとめてくれたが、とにかく純粋な心の持ち主だったんだよ。
 成長したらどんなに素晴しい青年になるだろうって、よく想像したもんさ。本人は与り知らぬことだろうがな。
 ところが、俺が滞在中にあの穏やかな星で政変騒ぎが起こった。そのドタバタに巻き込まれた俺を救うために、犠牲になったのが彼、キリアンだったんだ…。」
 時代が変わった暁には、今度は地球で再会しようって、約束したばかりだったってのに…。」
 目を閉じて聞いていたローズは、テーブルの上のアレンの左手の甲を指先でそっとたたいた。
「そんなことがあったのね…。」
「…だから去年、シャトル格納庫で初めてトムとまともな話をして、彼も俺と同じような荷物を背負った人間だと気付いた時はうれしかった…と言うか正直ホッとしたもんだ。」
「あなたの荷物を、一時でも軽く出来る人かも知れなかったのね。」
「ああ、そう思ったよ。もっと色々、話す時間があったら…。」
 ローズが不思議なオレンジ色の瞳でアレンを見つめるので、彼はふと、別の疑問を思いついた。
「それより君は、ちゃんと大人になれたんだね。」
 ローズの表情がいっとき和む。
「…ホント言うと確信はあったの。短い間だったけど、トムが私を本気で愛してくれてたのは分かったし、その喜びに満たされてたからきっと大丈夫って思って。
 でも単なる思い込みの可能性もゼロじゃないし、もし成長が始まらなかったらロイズさんやあなたに余計な心配かけちゃうから…トムが消えた後すぐ、私もハーナスを去って辺境に向かったの。
 ところが着いたとたんに成長が始まって…私ってばうれしくて、辺境に来てしばらくは毎日泣いてた気がする。」
 照れ笑いのような表情を浮かべながら話すローズの姿を、アレンは初めて見るように思う。
 本来のシーサリア人は、その愛情という心の強さで男を操る魔性の女のようなイメージが彼にはあった。だが今のローズは、ただの恋する女の子そのままだ。
「トムに知らせることが出来たらいいのにな、ミディ。」
 アレンが思わず昔の名で呼びかけると、彼女の瞳から涙がこぼれた。
「ほんと、それだけが唯一の心残り。
 …ところでピーター、今日はどうしてこんな話してるの? いつもは思い出すのも面倒臭そうなのに。」
「忘れたのかローズ、今日は3度目の記念日だぞ。」
「えっ、そうだっけ…あっ!」
 ちょうど3年前の今日、トムとハリーがこの店で無銭飲食のかどで警察沙汰になりかけたのである。
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