海の底に散る雪は…(第1話)
 暖かい南房総の海で代々、漁師を営んできた美波家に、次男として誕生した洋次は兄の圭一より十年も遅く生まれ、そのため両親に溺愛されるという、あまり有難くない環境に育った。
 それでも頭の出来は本物で、今や一族の出世頭。海上自衛隊のエリート士官となり、まだ40歳前だというのに潜水艦の艦長を任されている。
 その甥っ子にして、漁師の息子たる大介も、「海つながり」の仕事に就くのが自然のなりゆきというもので、海上保安庁の外郭団体である、社団法人日本サルベージに、一昨年新卒採用されていた。
 この法人は、数年前から海保の依頼で新型深海探索艇「まんぼう8000」の開発計画を進めている。
 2人乗りで、すでにある海洋科学技術センターの「しんかい」シリーズより小型軽量だが、耐圧深度は8000mと、日本で一番深く潜れる有人潜水艇である。
 大介もそもそも、その計画に興味があって採用試験を受けたのだが、入社早々、当のプロジェクトチームにシステム・オペレーターの1人として参加出来ることになったのだから大したものだ。大いに発奮した彼は、連日泊り込みの激務も全く苦にならなかった。
 その新型潜水艇「まんぼう8000」の第一号艇がようやく完成し、テスト航海の日まで秒読みとなった、5月のとある月曜日。出勤した大介を待っていたのは、開発チームリーダーである、事業部企画室長水谷隆夫からの呼び出しだった。

 「企画室」と書かれたドアをくぐると、室長のほかにもう1人、海上保安庁第3管区本部職員、貝塚寛の姿もあった。
 190cm近い長身の貝塚が小柄な室長と並んで立っている図は、大介にいつか週刊誌のグラビアで見た昭和天皇とマッカーサー元帥の、国賊的と言われた例の写真を彷彿とさせた。
 大介は室長に目礼してから、
 「お久し振りです。皆さんお変わりありませんか?」
 と貝塚に声をかけた。何を隠そう、この貝塚氏は洋次叔父とは海上保安大学の同期生で、叔父が何かの原因でヘソを曲げ、卒業後海保には残らず海自に入隊してしまってからも、変わらず家族ぐるみの付き合いが続いている。
 自分が大した苦労もせず希望の仕事に就けたのも、実際にはこの2人の七光によるところ大なのだろうと、大介は認識している。
 しかし、今日の貝塚さんはどこか妙だ。いつもなら、たとえ仕事がらみでも再会出来たことを喜んでくれ、趣味の釣りの話題でひとしきり盛り上がるのに、今日は黙ってうなづいただけだったのだ。
 普段は優しげな目元も空をさまよい、視点が定まっていない。

 「とにかく、掛けましょう。話はそれからだ。」
 室長の声が2人の気まずい空気に割って入り、3人はさして広くもない企画室の一角に無理やり設けられた、応接コーナーのソファーに腰を落ち着けた。
 「では、私から話そう。」
 口を開いたのは貝塚だ。
 「実は今、海自の潜水艦隊でちょっとしたアクシデントが起こっている。横須賀第2潜水隊群所属第7潜水隊…つまり、君の叔父上美波二等海佐の指揮する潜水艦『ゆうなみ』が極秘任務遂行中、犬吠埼沖の日本海溝付近で突然消息を絶った。
 最新鋭の海洋観測艦『ちよだ』など数隻が出て捜索に当たっているが、二十四時間以上が経過した現在、未だ発見に至っていない。
 その上驚いたのが、これが初めての事故ではないという話なんだ。この半年という短期間に、同様の行方不明事故があと2件起きていて、『ゆうなみ』で3件目、しかも消失海域が誤差数十キロの範囲に集中しているうえ、見つかった艦は一隻もない。
 『ゆうなみ』の極秘任務とやらも、どうやら先の2件の原因調査だったらしい。
 そこで、海上自衛隊から私を通して、君達(社)日本サルベージに正式な協力要請があった。もちろん、あくまでも非公式の話だが。」

 どうりで愛想どころではなかったはずだ。大介が妙に納得していると、横から水谷室長が口をはさんだ。
 「でしょうね。そんな事故の話、どこのマスコミも報道してませんから。それで、我々は何をすればいいんですか?」
 「『まんぼう8000』を貸してほしい。もちろん、支援母船やその人材も含めて、ってことだが。
 海自には600m以上潜れる艦はないし、そもそも海底探査は専門外だからね。」
 「でも、『まんぼう』は数日前に完成したばかりで、テスト潜航もまだ…。」
 「分かってるが、時間がないんだ、大介君。他の2隻はともかく、『ゆうなみ』の酸素残量はまだ2日分ほど余裕がある。水圧の問題もあるから、あまり風呂敷は拡げたくないが、今なら生還の可能性も高いんだよ。
 とにかく、海自はこれ以上潜水艦を失いたくないし、飛び抜けて優秀だった『ゆうなみ』の指揮官と70名のクルーを、何としても取り戻したい、ということなんだ。」
 「分かりました。」
 間髪を入れず、室長が答える。
 「そういうお話でしたら、我が日サルは協力を惜しみません。しかし『まんぼう』をお貸しすることについて、私の一存では…。」
 「承知してるよ。実は、大浜理事長の了解は既に取ってあるんだ。
 …と言うか、『まんぼう』に関して詳しいことは自分はワカランから、現場に直接当たってくれとのお達しでね。」
 そう言うと、貝塚は胸ポケットから携帯電話を引っぱり出し、さっそくどこかに「まんぼう」ОKとの報告を入れはじめた。
 「5分でヘリが出るそうだ。」
 言いながらケータイを閉じ、ポケットに突っ込む。
 「へ?」
 室長と大介は一瞬顔を見合わせ、揃って視線を貝塚に回す。
 「だから、海自のヘリが5分後に出て、30分ほどでここに着き、屋上で君達をピックアップするということだよ。
 行き先は『まんぼう』のある横須賀の日サル工場でいいんだな?」
 大介は思わず、天を仰ぐ。とんでもない一日が始まったものだ。

つ*づ*く
(C)森 羅 2016- All rights reserved
[Next]