海の底に散る雪は…(第2話)
 大手町の日サル本部ビルからヘリが舞い上がると、貝塚は先に厚木基地から乗り込んでいた2人の自衛官を、日サルの二人に紹介してくれた。
 上田海将補は、海上自衛隊潜水艦隊の司令官で、本件の海自側統轄者だ。実質的な最高責任者といえるだろう。
 痩せ型の長身で、コロッケ顔にバリトンの美声がややミスマッチな印象を醸している。
 もう一人の狭山信一一等海佐は、寡黙な横須賀第二潜水隊群の最高指揮官。
 美波ニ等海佐の一年先輩に当たり、訓練生時代から同じ艦で勤務することが多かったという。そのため今回の事故には大変なショックを受け、捜索任務に自ら志願したそうだ。

 ひと通り紹介を済ませると、貝塚は日サル側の統轄者も決めようと言い出した。
 「改めて決めるまでもありませんよ、貝塚さん。なあ、美波君。」
 「ええ。なんたって日サルは海保の外郭団体に過ぎないんですから。」
 「ちょっと待て、2人とも。私は『まんぼう』について何も知らんのだぞ。この際開発計画のリーダーである水谷君の方が、よっぽど適任だと思わないか?」
 「そ、そうかも知れませんが、物事には順序というものが…。」
 怪しい雲行きに早くも腰の引けている室長だったが、
 「この緊急時に、順序や段取りに拘っても意味がない。」
 との貝塚のツルの一声で、無理やり日サル側の統轄者にされてしまった。
 そんなやり取りをしているうちに、眼下に横須賀の港が広がった。
 海に浮かぶ支援母船「あおうみ」の甲板が陽光に白く照り返っている様子も見て取れる。目標地点が近付き、ヘリは高度を下げはじめた。

 晴れ渡った5月の海は風も弱く、コバルト色に輝いている。
 「まんぼう8000」の支援母船でもある海洋調査船「あおうみ」の舷側デッキで、大介は真冬の荒天なんかじゃなくてほんとに良かったと、心から思っていた。
 この種の仕事に携わっていながら、いまだに船の揺れに慣れることが出来ないのだ。
 「最近、美波君に会ったかね?」
 隣に立つ貝塚が、デッキの手すりから身を乗り出して一度海面を覗き込んでから、声をかけて来た。
 「ええ。でも、もう2ヶ月近くは経つかな。ご夫妻に昼食に招ばれて、中華街に繰り出したことが…。」
 「そうか。いやぁ、美波君は君を本当に可愛がっていたからな。君のような息子が欲しかったと洩らしたのを、一度ならず聞いたことがあるよ。もちろん、奥さんの前ではおくびにも出さないが。」
 「知っています。大介っていう名前も、本当は叔父が自分の息子につけたかったのを、譲ってくれたものだって父が話してましたから…。」
 「それで、その昼食の時にはどんな話を?」
 「それが、あまりよく覚えていなくて。こんなことになるって分かっていれば…。」
 「まあ、仕方ないさ。ここ何ヶ月かは、君も会社に泊まり込む毎日で他のことに頭が回る状態じゃなかっただろうからな。」
 「…でも、1つだけ妙だと思ったことがあったんです。叔父貴ってば、最近よく眠れないとこぼしてたような…。」
 「本当かね? 確かにそりゃ、楽天家で大らかな美波君らしくない発言だな。どうしてだか、理由は話してたかい?」
 「ええ。地鳴りのような海鳴りが、どこにいても耳について離れないって。」
 「…海鳴りか。潜水艦のエンジン音とでも言ってくれた方がよっぽど分かりやすいが…。奴の自宅は、それほど海に近くはなかったはずだからな。」
 「ですよね…。ところで、貝塚さんの方はどうなんですか? 叔父は、最近あなたと飲むチャンスがほとんどないと嘆いてましたが。」
 「そうなんだよ。奴と最後に飲んだのは、もう5ヶ月近くも前の話になる。そう言やあの時も、深海に潜んでると絶対的な孤立を感じるとか何とか、奴にしてはえらく不景気な話をしてたがなぁ…。
 驚いてひたすら聞き役に徹したのを思い出したよ。」
 「…ということは、叔父はかなり以前から、ストレスを溜め込んでたのかも知れませんね…。」
 「だろうな。ま、いかに好き好んだ仕事と言っても軍人で、しかも佐官クラスとなれば責任の重さが違う。まともな人間ならストレスにも晒されるさ。
 それにしても奴は、そんな時期に厄介な任務に巻き込まれたものだ。」

 貝塚がそう言った時、突然甲板の支柱に取り付けられている屋外アナウンス用のスピーカーが目を覚ました。
 二人が驚いて見上げると、そいつは高音の耳をつんざぐ雑音とともに、艦が予定海域に達したので、メインスタッフはモニター室に集合しろとの、上田海将補の命令をがなり立てる。大介は思わず、両耳に指を突っ込んだ。

つ*づ*く
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