ヘリオポーズの風(最終話)
 目を開くと世界が一気に押し寄せてきて、ピーターは再びむせ返るはめになった。
「おい、しっかりしろよピーター!」
 上から降ってくる声と共に、暖かい誰かの掌が背中をゆっくりとさすり続けてくれたお陰で、咳がおさまり呼吸のリズムを戻すことが出来た。礼を言うために後ろを振り返ると、シーサリア人の少女が微笑んでいる。
『…どういたしまして、ピーター。』
 口を開こうとしたそばから、彼女の声が脳に直接流れ込む。仕方がないので再び前を向き、自分の身体を波打ち際まで運んでくれたであろう先輩記者に頭を下げた。
「もう大丈夫みたいです。ご迷惑かけて済みませんハリソン先輩…。」
 ハリソンは照れ隠しに2,3度、指で花の下をこすり肩を竦めて見せる。
「いやなに、姿が見えなくなってしばらくして、コイツが様子が変だって言うもんだから、呼んでみただけでさ。そしたら返事がないだろ? 慌てたよー。」
 ハリソンが話す間、無意識に上着のポケットに手を突っ込んだピーターの指先が小さな硬いものに触れた。
 取り出してみると思った通り、小さな宇宙船のオモチャだ。ピーターは最後に握手した時の、父の掌の温かさを思い出しながら宇宙船をポケットに戻した。
「…ライフセーバーの資格が初めて役に立ったみたいねジェイク。」
「えっ? そんな資格、お持ちだったんですか…。」
 ハリソンがさっきと同じ動作を繰り返したので、隣のサリアが小さな笑みを漏らす。
「アンドロメダで仕事がなかった頃、海辺で無料の講習を1週間受ければ資格が取れるって聞いて参加しただけだよ。予想外に泳がされるわテストは厳しいわで、終わってしばらくは海なんか見たくもないって気分だったけどね。」
「でもお陰で役に立ったからいいじゃない?」
 そう言ったサリアの顔を不思議そうに見つめるピーターの表情をハリソンは見逃さずに心に留めた。


 宇宙船は、最終目的地であるヘリオポーズの巨大なステーションに近付き、完璧な姿勢制御で見事なドッキングを行った。
 クランプの音に続く『ドッキング完了』のアナウンスに乗客たちから一斉に拍手が起こり、三々五々、下船のための扉の前に集まり始める。ピーターたち一行は最後の身支度を整えるため、男女別のバスルームを占領中だ。
「…なぁピーター。つまんねえこと聞くけど怒るなよ。」
「あの、なるべく努力します…。」
 隣り合ったブースでほぼ同時にシャワーを終え、温風乾燥の風に身を任せている2人が、天井のスピーカーフォンを通してしゃべり合っている。
「エンケラドゥスの浜辺でだったか、お前の言おうとしたセリフを、サリアが横取りしたことがあるんじゃないか?」
「覚えてます。確か溺れかけて助けて頂いた時だと…。でもどうしてご存知なんですか?」
「…やっぱりか。お前が不思議そうな顔でサリアを見てたから気になってな。それじゃ、そのあとも何か受け取ってるだろ、脳に直接…。」
 ピーターは海辺での場面を思い返してみたが、それらしいことは思い出せなかったので、逆に質問するハメになった。
「どんなものを受け取るんですか?」
「奔流だよ。どう言葉にすればいいのか分からんが、彼女の気持ちが脳に直接飛び込んでくる感じなんだ。覚えがないってことは、受け取らなかったってことなんだろうが…。」
「ええ、受け取った覚えはありませんが、何か意味のあることなんですか?」
「大ありだよピーター。シーサリア人が誰かの思いを自分のことのように代弁したら、その誰かに恋をしてるってことなのさ。そして彼女たちは、恋する相手にはその気持ちを抑えられない。」
「じょ、冗談ですよね先輩?」
「ほんとのことだよピーター。でも奔流を受け取ってないとしたら、恋まで行かないのかも知れないが。」
「あり得ませんよ先輩! これ以上ないくらいお似合いのカップルなのに…。」
「本気でそう思っててくれるみたいだなピーター。俺たちは急に親しくなり過ぎたのかも知れん。しばらく距離を置いた方がいいんだろうな。」
「同感ですよ、先輩。」
「ガニメデの大学に戻るんだって? 幸運を祈るよピーター。」
「先輩たちは?」
「あいつが、地球がどんなところかもっと知りたいって言うんでな…地球に戻ってグランド・ツアーに申込もうと思うんだ。」
「きっと最高の思い出になりますよ。」
「お前ってほんとにいい奴だよな、ピーター!」

 二人が戻ると、先に支度を終えたサリアが間近に迫るヘリオポーズステーションの威容に見入っていた。
「…完璧だわ。」
 隣に腰を降ろしたハリソンの気配を察し、窓に目を向けたまま口を開く。
「ただの人工物なのに、こうして見るとステーションのある風景として完璧だと思える。不思議だと思わない?ジェイソン…」
 ピーターも彼らの視線の先を追い、聳えるチタン合金の壁と、無数のライトの点滅に眺め入る。
「…人工物が風景と溶け込めるのは、みんなの想いの結晶だからだって、子供のころ父から聞いてました。父は彫刻家としてスタートしたけど、個人の枠に収まらなくて都市設計のプロジェクトにも関わるようになった人で…。」
「知ってるよ。ジョウ・アレンといや、東アジアの大規模都市計画のほとんど全てに関わった人物だからな。」
「先輩、ご存知で…。」
「…そうだったのねピーター。今のお話、詳しく聞かせて。」
「ええと…。子供のころから、ほとんど父の口癖だったんで覚えてるんです。大規模な彫刻や建築は一人じゃ出来ない。設計段階からたくさんの人が関わるし、直接作業する人も入れるとものすごい数の人々の思いがこもることになる。だから完成した建物はその結晶だし、結晶と言える作品だけが、風景と溶け込んでいつまでも残ることが出来るんだ…って。」
「…あなたにとってこの旅は、お父様に再会するためのものだったっていうことなのね…。」
「そ、その科白、俺が今言おうとしたのに…。」
 目を丸くしながらもどこかうれしそうなハリソンを見つめ、サリアがうっそりと微笑む。
 その時、終了したはずの船内放送が突然息を吹き返した。
「まだ残っておられる乗客の皆さん、どうか下船をお急ぎ下さい! 気圧調節チェンバーの担当者からいつまでかかるのかとの苦情が届いております…。」


 ピーター・アレンはヘリオポーズの境界面にあるステーションの、外宇宙と直接接する側の展望ラウンジでテーブル席に就き、珈琲を飲んでいた。
 ハリソンとサリアの乗った地球行きの高速船をたった今見送ったところだ。別れ際にハリソンからもらった透明なスリット状のカードを左手で玩んでいる。
 カードは記録媒体で、中にはハリソンが懇意だというアンドロメダの出版関係の会社社長や編集者たちの連絡先がおさまっている。
「ギリギリになって済まん、渡すかどうか迷ったもんで…。」
 別れ間際に、申し訳なさそうに言い訳しながらハリソンが手渡して来たものだ。
「大学に戻りたいなら、止めるつもりはないんだ。ただ、俺と会ったのも運のつきというか…。旅行記者になるつもりなら大学出るより、アンドロメダで経験積むのが一番だと思うんだよ。出版社も大手がひしめいてるし、旅をするにも便利な位置にある。君さえその気なら、このままアンドロメダまで旅に出て、その旅行記で出版社に売り込むってのも手だと思ったんでね。」
 玩んでいたカードを手許に置いて、ピーターは上着のポケットから小さな宇宙船のオモチャを取り出した。旅行記者になるつもりなら出来るだけ遠くへ行けと言った父の言葉が甦って来る。
 しばらく掌で転がしたあと、軽く握りしめてみる。そしてそのまま、ゆっくりと珈琲を飲み干した。

 立ち上がったピーターは、迷わずアンドロメダ定期船のチケット売り場へと急ぐ。
 大学へは戻らないって、母さんに連絡しなくてよかったのかな? いいや、母さんのことは、父さんに任せよう。

 何とか滑り込んだ定期船の客室で出発を待っていると、客室係の男性がピーターを探し当て、小声で話しかけて来た。
「…実は先ほど病院から知らせがありまして、お父様のジョウ・アレン様がお亡くなりになったと…。奥様が人工心肺装置をはずす決心をされたとかで…。あのう、いったん地球にお戻りになりますか?」
 乗務員としては気を利かせた質問だろうが、今のピーターはキッパリと首を振る。決心がついたということは、母は父が本当はどこにいるのか理解し、受け入れることが出来たのだ。今や、彼女は決して一人ではない。

 心地よい振動が伝わってくると、船内放送がただ今から発進シークエンスに入ると知らせてくれた。船は外宇宙の星間風をまともに受けて小刻みに振動しながら、ドッキングクランプが解除されると方向を転換しつつワープ突入への準備を始める。突入直前、ピーターの携帯端末にハリソンからのメールが着信した。
『おめでとう、ピーター! ついに本当の旅立ちを迎えたな。グランドツアーが終わったら俺たちも戻るから、1ヵ月後にアンドロメダで再会しよう。それまで無事でいろよ!』
 ピーターはほほ笑み、窓外に広がる虹色のワープライトにゆっくりと目を移した。


-終*わ*り-

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