陽炎たちの春(第12話)
終  章

 新しい「スレイド事務所」はその後3年、第6シーズンまで製作されたが、メインキャストはそのままで映画化されることが決定し、発展的に終了となった。
 その最終話を、夏美は今度は日本からも離れた、香港島ミッドレベルの高層フラットで、32インチのプラズマテレビで見ることになる。
 10畳ほどもある広いリビングのソファーの上で、抱えているのはそれでもやはり海苔せんべいの袋だ。隣に座る大男が無遠慮に手を突っ込んでくるので、CMに入ってトイレに立ったついでに、袋を男に明け渡した。
 慌てて戻るとちょうど後半が始まったところで、夏美は大男に寄り添うように座り込むと、テレビ画面に意識を集中させた。
 物語は最終回にふさわしく、スレイドの仇敵、サイコな爆弾魔との対決だ。彼は深手を負いながらも、第5シーズンから新たにレギュラr-に加わった女性心理学者キャサリン・ロスのアドバイスを受け、辛くも犯人を警察に引き渡す。ラスト・シーンはスレイドが事務所を出て、ミス・ロスがハンドルを握る車に乗り込み、仲良く走り去るところで幕となる。
 心理学者キャサリンは、第4シーズン中盤にゲスト・キャラとして登場し、長い金髪とキュートな童顔からは想像もつかない辛辣な皮肉を並べて大好評を博した。そのため、スレイドが初めて将来を共に歩むことを考え始めた女性として、選ばれることになったのだった。
 彼女を演じるルイス・ジョンソンとコクランは、私生活でもデートを重ねていると報じられ、夏美はそれが真実であると知っていた。ミス・ロスを見つめるスレイドのコバルトの瞳が自分だけに向けられていたことが、かつて一度はあったのだから。


 エンド・クレジットの流れる画面を見つめながら、涙を流している自分に気付いて夏美は驚いた。
 大男がそんな彼女の頭に手を添えて、自分の胸に寄りかからせてくれる。画面がCMに切り替わると、夏美はすぐにテレビを消した。
 「なぜ、アメリカまで追いかけなかったんだ?」男が尋ねる。
 「だって、彼は今や、ハリウッドの大スターだもん。キュートでゴージャスなルイスの方がお似合いよ。」
 何も映っていないブラウン管を見つめながら、夏美がぼんやりと答えると、男は口をとんがらせた。
 「俺は大スターじゃなくて、悪かったな。」
 夏美は思わず吹き出した。
 「しょうがないよ。キュートでもゴージャスでもない私のお相手なんだから。」
 男は参った、というように顔を左右に振る。その時着信音が聞こえ、夏美は立ち上がって、ソファーの後ろ、コレクションボードの上の携帯電話をつかんだ。
 電話は日本の出版社からで、夏美の担当編集者の竹内氏が、原稿の進捗状況を問い合わせて来た。
 実は夏美は一昨年、降ってわいた幸運のおかげで人気ジュニア小説家の仲間入りを果たしていたのだ。
 スレイドが去ってから勤め始めたデザイン会社は、忙しい時期が1ヶ月のうちの半分しかなく、ヒマな日は朝から丸一日、何もすることがなかった。時間をもてあました夏美は、ふと思いついてスレイドとの一件を物語に仕立ててみることにしたのだ。ふだんは思い出さぬよう努力する毎日だったが、本当は絶対に忘れたくない思い出なのだから。
 会社のパソコンで数ヶ月かかって完成させたころ、偶然読んだ週刊誌の広告に、大手出版社が主催するジュニア小説の新人コンテストと言うのがあった。たまたま規定枚数もクリアしていたので、モノは試しと応募したら佳作の1本に選ばれてしまった。その後出版された単行本もまずまずの売れ行きを示し、夏美はコンテストの賞金のほかに、悪くない額の印税も手にすることが出来たのだ。そしてその後、ティーンズ専門の読み物雑誌などから、執筆依頼が舞い込むようになったのである。
 ここ香港へは、一昨年コンテストの賞金で観光旅行に訪れたのが最初だった。ニューヨークとよく似たセントラルのビル群や、100万ドルと言われるビクトリアピークからの夜景に感動し、コンパクトな地形と発達した交通機関でどこへでも移動が便利なところも気に入って、一度住んでみたいと思うようになった。今借りているフラットは、2年契約で今年の初めに引っ越して来たばかりだ。
 成り行きで一緒に暮らすことになった大男は、「STARTREK the Next Generation」で夏美の一番のお気に入りキャラである、J・フレイクス氏演じるエンタープライズ号副長、ウィリアム・ライカー中佐にそっくりだ。だが、今や彼のトレードマークとなっているあご髭がないせいで、STファンが多いと思われる香港の街中でも人に気付かれる心配はない。もちろん、彼が多忙な人気俳優のフレイクス氏であるはずもなく、ライカー中佐その人なのである。
 今回の彼は、ビデオテープではなく、DVDディスクのデジタル信号の中からやって来た。香港のビデオデッキは日本と再生方式が違い、日本で録画したテープは再生出来ない。そこで夏美は、こちらでは世界共通規格のあるDVDデッキを購入し、日本と比べて料金の安いレンタルDVDで映画などを楽しむことにしたのだ。(数百本に及ぶ夏見のビデオ・ライブラリーは、コンテストを主宰した出版社の倉庫に、まとめて預かってもらっている。)おっして、デッキが納品された初めての夜、さっそく何か見てみようとレンタルショップで物色していた夏美の目にとまったのが、STNGのパイロットフィルム、「ファーポイントでの遭遇」だったのである。
 もうかれこれ10年以上は前の作品で、髭がなく、若々しいライカー中佐を見たとたん、夏美は懐かしさで胸がいっぱいになった。様々なことを思い出しながら見入っていると、画面に映るエンタープライズ号の通路を、こちらに向かって歩いていたはずの中佐が、突然長い足でテレビの枠をまたぎ越え、夏美の目の前に立ってしまったのだ。
 驚いてソファーから転げ落ちた夏美とは対照的に、24世紀の宇宙艦隊士官ライカー中佐の対応は見事だ。はじめの数秒間こそ、驚いたような表情を浮かべたものの、トリコーダーとか言う、バーコード読み取り機の親玉のような分析装置を取り出し、さっそく周囲を調べにかかる。
 「こちらの計器だと、ここは21世紀初頭の地球上と表示されてるが、間違いないかな?」
 トリコーダーから顔を上げると、夏美に気さくに話しかけて来た。情けないことに、夏美としては「鳩がマメデッポーを食った顔」で何度もうなづいて見せるのが精一杯だ。
 「すると、あれが空間を歪ませる装置か何かかな?」
 中佐がプラズマテレビを指さしたので、夏美は慌てて首を振る。
 「ええと、私ってばシロウトで仕組みがよく分からないけど、あれはただの受像機で、確か衛星で送られてくるテレビ映像のデジタル信号を受信して…」
 「なんだ、テレビジョンか! でも、それじゃどうして僕はここにいるんだろう? ああ、僕は24世紀の惑星連邦という…」
 「…惑星連邦のウィリアム・ライカー中佐でしょ?」
 「知ってるのか? 僕の方は、君と会った覚えがないが…。」
 「もちろん、直接お会いするのは私も初めて。21世紀のジュニア小説家、川本夏美です。」
 握手を交わしながら、夏美は今回の中佐の出現が、スレイドの時とは事情が違うようだと気付き始めた。フレイクス氏はコクランと違い、自分の演じるキャラクターに尊敬の念すら抱いている。彼らの間に分裂が起こったとは、考えにくいのだ。
 とすると、本当に空間に歪みが起こって、異なる2つの次元が交わってしまったことになる。もしそうなら夏美には全くお手上げの状態だ。何をどうすれば元に戻るのか、まるで見当がつかないのだから。中佐に正直に話そうと顔を向けると、彼は胸の通信徽章を叩いて、エンタープライズ号に呼びかけている最中だった。何度か試みて無駄な努力だったと悟り、ため息をつくと夏美が自分を見つめている。
 「仕方ないな。しばらく様子を見るしかなさそうだ。そう思ったら急に腹が減ってきたけど、どこかいいレストラン知らないか?」

 その後しばらく、彼らはお互いの存在に戸惑い、ギクシャクした毎日を送ることになる。現代のアメリカが舞台の「スレイド事務所」とは異なり、中佐が生きている24世紀は、人類が超光速の宇宙船で銀河を駆け巡っている時代なのだ。それでも、陽気で大らかなアメリカ人のライカー中佐は、3日目に入ると目に見えてこの世界に順応出来るようになっていた。セントラルからミッドレベルまで登る、世界一長いエスカレーターが故障でしょっ中止まってしまい、自力で階段を登るハメになっても、一言も不平を言わなくなったし、この時代には「フードディスペンサー」がないという現実を受け入れ、本物の肉料理にもチャレンジするようにもなった。
 2人は雑多なアジア文化が交じり合う香港で、お互いを思いやることで生活を楽しめるようになったが、それが長くは続かないこと、また続けてはならない事態なのだということを、どちらもはっきりと知っていた。24世紀のエンタープライズ号では、中佐を無事に取り戻すための努力が続けられているはずだ。


 「それじゃ夏美、これまでに『スペシャル』な相手に出会ったことは?」
 ある晩夏美のフラットで、夕食後のコーヒーを飲みながら、中佐が尋ねた。
 「あれ、前に言わなかったっけ? それがウィル・スレイドだよ。一番思い出に残ってる…。」
 「だーから、彼は本来実在してないんだろう? そうじゃなくて、将来を誓い合いたいと思った相手、ってことだよ。」
 「どうして、実在しないキャラを好きになっちゃいけないの?」
 「いや、善悪の問題じゃない。自分の気持ちに、人生懸けて応えてくれる相手があってこその恋愛だろ? 一方通行だけじゃ空しくならないのかってことさ。」
 「そりゃぁ、空しいよぉ、いっつも。でもだからこそ、自分はジュニア小説家っていう、天職を見付けることが出来た気がするんだよね。
 ほら、よく聞く話だけど、ものすごいハラハラドキドキの冒険小説書く人が、日常では平凡な良き家庭人だったり、美しい人間ドラマ書く人の日常が、逆に一人ぼっちで孤独だったりっていうアレ。あの話は本当なんじゃないかって気がする。もしも自分が本当の恋愛をして、幸せな奥さんになったら、もう小説書くことを楽しめなくなるじゃないかって、怖くなるんだ。
 自分の現状をはたから見れば、単に淋しい人生なんだろうけど、実は今が一番充実してるかも、って思える瞬間もあるよ。」
 「なるほど、孤独が創作の母…か。僕もどこかで、聞いたことはある。よく考えたら君とは、似たもの同士なのかも知れない。僕も長いこと、宇宙任務で家族を持てる機会もなかった。でもだからこそ、仲間との絆も深まるし、任務にこれだけ充実感を感じるのかも知れないな。」
 中佐がほほ笑んでいた。
 「君の言いたいことはよく分かるよ。君がそれで幸せなら、僕ももう追求しない。」
 二人は揃って、ソファーの後ろの窓辺に歩み寄る。目の前にセントラルからビクトリア湾を越え、対岸の九龍半島まで広がる街の灯が見渡せた。
 「まるで銀河そのものだ。」
 中佐がつぶやく。
 「…不思議だなあ。夜景なんて、地球でも他の星でも腐るほど眺めた。なのに今日ほど、美しいと思ったことがないなんて…。」
 「銀河をその目で見た人がそういうなら、こりゃ間違いないよね。」
 夏美がおどけて見せたが、中佐は視線を窓の外に向けたまま、ささやくような声を出した。
 「昨夜君が眠ったあと、エンタープライズとの通信がつながったんだ。」
 夏美は中佐を見た。中佐も夏美の瞳を見つめ返し、先を続ける。
 「データ少佐の報告によると、再び双方の次元が交わり始めてるとのことだ。今夜じゅうに、また完全に通れるようになるらしい。」
 夏美はしばらく、返事をしなかった。
 「…あのね中佐。言ってないことがあるの。」
 「どんなこと?」
 「今度の次元の歪みの原因。ずっと変だと思ってたんだけど、もしかしたら、私の思いが深すぎたのかも知れない。深すぎたからスレイドさんの時も中佐の時も、世界がつながっちゃった気がする…。」
 「そうだとしても、君の責任ってわけじゃないさ。小さな奇蹟が2度、起こっただけのことだ。」
 「そう言ってくれてありがとう…。」
 「僕のことも、小説に書くつもり?」
 「…たぶんね。」
 「ハリウッドスター並みに、ハンサムだったことにしといてくれるよな?」
 夏美が小さく吹き出すと、一緒に涙がこぼれた。中佐がその涙を、唇でそっと吸い取った。
 その夜遅く、その目に偽物の銀河の灯を焼き付けて、惑星連邦のライカー中佐は本物の銀河の海へと旅立った。


お*わ*り

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