マリウスの宝石(第1話)
天国(ヘイブン)

来る者は拒まないが,適わぬ者を受け入れることはなく,
目覚めた者が去ることも許されずに朽ち果てる場所。
天国は見えないヴェールに守られた
独特の理想郷だが,
その意味するところは,穏やかな牢獄である。
25世紀の詩人,フォレスト・ゲヘナの遺作


アンドロメダ

 銀河を股にかける旅行者や,定期航路のパイロット,命知らずの宇宙海賊といった人々の一大中継地点が,ここアンドロメダ座のエルフ恒星系だ。
 ことに地球型の第4惑星ハーナスは,海上に大規模な宇宙港(スペース・ポート)がいくつも浮かび,陸上には近隣のあらゆる星系人の欲求を満たすショッピングセンターやレジャー施設,風俗産業から路地裏の怪しげな酒場群といったものまでがひしめき合う,文字通り惑星規模の自由港(フリー・ポート)となっている。
 折りしも,第37番プラットホームに辺境からの定期船(シャトル)が到着したところで,数人の異星人客に混じって,地球生まれのフリーの旅行記者(トラベルライター),ピーター・アレンもゆっくりとタラップを降りて来た。
「アレン!」
 シャトルからやや離れた場所,到着ロビーに通じるゲートの傍に立っていた,緑色の肌も鮮やかなフィルモア人らしき人物の声に,ふと顔を上げた地球人の青い瞳は,小柄でまだ青臭さの残るその顔立ちとは裏腹に,意外なほど鋭い光を宿している。
「これはロイズ編集長。」
「やってくれてじゃないかアレン!
 またもや大当たりだ!」
 飛びつくような勢いで駆け寄りながら,宇宙港中に響く大声で中年肥りのフィルモア人が叫び,閉口したアレンが睨みつけるのも構わず,一気にまくし立てた。
「全く今回ときた日にゃ,初回出荷予定の分が全部,予約で持ってかれちまった。すぐ追加コピーさせたが,まだ生産が追いついとらん状態だよ。2巻目でこの調子じゃ,次の第3巻は初回出荷を3倍に増やさなきゃならんだろう。私の企画も良かったが,これも君の才能あってのことさ。君に出会えた私は,本当に幸運な男だよ!」
「ご冗談でしょう。」
 とうに,まともに聞いてなどいないアレンだったが,ここでこの男の機嫌を損ね,苦労して手に入れた契約ライターの仕事を棒に振ってしまえるほど,自分の経済力に自信が持てなかったので,とりあえず相槌だけは打っておくことにした。
「何を言っとる。冗談なんかじゃないぞ。私は本気で,君を天才だと思っとるんだ。もちろん,この企画に自信はあった。これまでどこの宇宙ステーションの旅行ガイドにも載ったことのない観光地を調べ上げて,君が実際に訪れ記事にする。初めて紹介される場所ばかりなんだから,中身はどうでもある程度は売れる計算だ。だが,月間ベストセラーのトップに踊り出るほどとは,誰も予想していなかったよ。特にうれしいのは1巻より次の2巻目の売れ行きがいい事だ。なぜだか分かるかね?」
「いっこうに。」
 宇宙港のメインビルディングから貿易センタービルを繋ぐ,屋根付きの長い空中回廊を,2人はゆっくりと歩いていた。他に自動走路(エスカレーター)を使う方法もあるが,突っ立ったまま目的地に運ばれるだけのあの通路は,2人ともあまり好きではない。あたりには夜の帳が降り,涼しい風が出て心地よかった。
「全くクールな男だな,君ときた日にゃ。君に才能があって,内容が面白かったからに決まってるだろう。第1巻を手にした客の評判が,今や銀河中に広まっとるのさ。この調子なら,第3巻はもっと売れる。君,良い旅行ガイドとはどういうものか,説明できるかね?」
「さあ,自分が心がけているのは,読みやすさですが…。」
 林立する超高層ビル群の中でも,ひときわモダンな外観の建物の前で二人は足を止め,入り口のロビーを抜けて昇降機(リフト)に乗り込んだ。壁のコンピュータ・パネルに目的のフロアをセットし,上昇が始まっても,会話は途切れたままだ。透明なカプセル状のリフトの外に広がる光景に,2人揃って目を奪われてしまっているからだ。
 地球人のアレンにとっては,かつて東洋の真珠とまで謳われた,生まれ故郷の香港を彷彿させる眺めだが,何しろこちらは惑星規模だ。同じ夜景といっても桁違いのスケールで,色彩もずっとバラエティーに富んでいる。
 お目当ての店は,最上階のまるまるワンフロアを占める広大なラウンジバーで,運のいいことに窓際のボックス席が空いていた。ウェイターが注文を取って姿を消した後も,飲み物が来るまでどちらも口を開かなかった。眼下に広がる光の海は,まるで銀河そのものだとアレンは思った。
「…ええと,どこまで話したかな。」
 ようやく我に返ったフィルモア人が,地球産のソルティドックを一口啜ってから言った。
「良い旅行ガイドについて。」
「そうだ。良い旅行ガイドとは,旅好きの者には是非そこを訪れたいと思わせ,旅行をおっくうがる者にも,実際にそこを旅したような気分を味わわせてくれるものだ。だから,どちらの人種にもよく売れる。その点,君の文章はガイド物としては完璧と言えるだろうな。辺境の場合,名のある観光地と違って開発が進んどらんし,手付かずの自然を売り込むしかない場合が多い。並のライターなら,ワイルドだとかのどかだとか,月並みな表現で誤魔化しかねんところを,君はそれぞれ見どころを探し出して具体的に紹介しとる。いや,本当に敬服するよ。」
 飲みかけのグラスを口許にあてがったまま,アレンははたと動きを止めた。なんだか怪しい雲行きだ。こんな歯の浮くようなセリフ,この男から聞いた事がないぞ。それなりの苦労はあったが,正直言って退屈極まりない仕事だったのに。
「まったくどういう風の吹きまわしですかね,編集長。そこまで誉めて頂けるなら,ギャラを上げて下さる方が嬉しいですが…。それはそうと,辺境シリーズは今度の第3巻で終了でしたよね。その後の企画,俺にもアイディアがあるのですが。」
 とたんに,上機嫌だったフィルモア人の表情が曇った。
「その話だがねぇ…。確かに当初はその予定だったが,何しろ売れまくってるから,もうしばらく続けろって社長からのお達しでね。わたしゃ,今のライターには向かん仕事を無理に書かせとるから,続けるなら別の人間と交代させようと提案したんだが,書き手が変わったら今ほど売れんと言われてなぁ…。おそらくその通りだろうし,だいいち社長の命令じゃ逆らえん。君には物足りん仕事だろうが,どうかひとつ,私を助けると思って…。」
 アレンはじっと,名状し難い色(あえて言うなら,ピンクがかった薄紫だろうか?)の液体の入った自分のグラスを見つめた。すると,初めてこの店でこの液体,パラノイア・ブランデーを飲み干した日の記憶がふとよみがえる。ライターとしてはまだ駆け出しで,この自分が組織に飼い慣らされることなどあり得ないと,信じていられた頃の話だ。
 当時のアレンが師と仰いでいたある先輩に,ライター仲間のよく集まる店だからと,連れて来られたのが最初だった。ネソス星系産のパラノイア・ブランデーは,ここで一番旨い酒だからと,先輩がアレンの分も注文してくれた。一口飲み下すと,一瞬身体がふわっとして,意識が遠のくように感じたのを覚えている。
 銀河のあちこちで出くわした取材中のトラブルを,面白おかしく聞かせてくれたその先輩は,その後新境地開拓と言って,取材先に紛争地域を選び,戦闘に巻き込まれて早くも彼岸の人となってしまった。
 その先輩を「偲ぶ会」と称して,ここで20人近い仲間と飲み明かした夜の記憶も,今となっては遠い昔の出来事のようだ。その時集った仲間にしたところで,いまだに曲がりなりにも「フリー」の看板を掲げているのは,アレンを含む数人にまで減ってしまい,書くことそのものから遠ざかってしまった者も少なくない。
「…もちろん,無条件でとは言わん。」
 追憶から開放されてみると,フィルモア人の口上がまだ続いていた。
「報酬についても,規定の原稿料1割アップのほか,総売上の0.5%をボーナスとして上乗せすると社長も言っとるし,破格の条件だと,私は思うんだがねぇ…」全くもってその通り。なのにどうして,後ろめたい気分なんだ?
「同感ですよ,編集長。俺だって断れるほどガキじゃない。まだ計算は苦手ですけどね。」
 フィルモア人はそれを聞くと,酒のグラスを脇へ押しやり,ぐいと身を乗り出した。
「受けてくれるのかい? こりゃ驚いた!」
「いったん関わった仕事ですから,俺なりに筋は通させてもらいます。ただし,いつまでも辺境ライターで終わるつもりはありませんがね。」
「もちろんだとも! 君のアイディアというのも気になるし,続いたとしてもあと2回,全5巻で開放してもらえるよう,社長に条件を出してみるよ。」フィルモア人は残りの酒を一気に飲み干し,テーブルに手をついた。
「さて,私はさっそく,社長に報告せにゃならんのでこれで失礼するが,君は好きに飲んでってくれ。いやはや,君がその気になってくれて,本当に嬉しいよ!」
 立ち上がりながらこれだけのことを一気にまくし立て,ビッグ・ガイド・トラベラーズ社の敏腕編集長,フリント・ロイズ氏は意気揚々と出口へ向かう。その後姿を見送りながら,フィルモア人てのはどうしてこう日本人に似てるんだ,と,アレンは独りごちた。


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