マリウスの宝石(第2話)
マリウス

 銀河マリウスは,アンドロメダを中心に大小数十の銀河系で構成される,第73銀河団の,最北端に位置する中規模銀河である。
 500年ほど昔,アンドロメダからの初めての調査船を受け入れて以来,いくつかの星系が鉱物資源を中心とした交易に加わるようになったが,最も近い恒星系でも,アンドロメダから最速船で2週間日以上という距離のため,一般の旅行客が気軽に足を伸ばせる空域ではない。とはいえ,ローカル的にはまた別で,マリウス銀河内での恒星系同士の交易は,盛んに行われている。それでも,とある銀河から大挙してやって来る,傍若無人な団体客の洗礼を,いまだに受けずに済んでいる銀河の存在は,それだけである種の人々に大いなるロマンを抱かせてくれるものなのだ。
 そんなマリウス銀河の中にあって,なおかつ「伝説」と謳われる星がある。それは,中心部よりやや西の外れ,ナノ恒星系の第4惑星で,その星の言葉で「光」を意味する,「ネルヴァ」という名で呼ばれていた。
 惑星ネルヴァはいわゆる「観光立星」だったが,今や銀河中を駆け巡っている亜空間(サブスペース)経由のマスメディアで紹介されたことは一度もない。それどころか,名の知れたあらゆる銀河の,どこのギャラクシー・ガイドコンピュータにも,観光地として登録されたことがなかった。にもかかわらず,毎年そこそこの数の旅行者が訪れ,少なくとも数百年間にわたって,安定した繁栄が続いているという。そんな,辺境の銀河にひときわ輝く宝石のような惑星を治めているのは,ガーと呼ばれる一人の司祭長(ナルド)だった。
 ガー司祭長は,高台に立つ巨大な石造りの神殿に住み,毎年2度,春と秋に惑星を挙げて行われる大礼拝では司式を務める。それ以外,彼が公の場に姿をあらわすことは滅多になかったが,太陽神ナノの使者としてのガーへの,人々の信頼は絶大で,その存在は,若々しく端正な美貌と相まって,ネルヴァを巡る伝説の一部となっていることは間違いなかった。
 ガーの住む神殿のバルコニーからは,ネルヴァの首都タニス市がほぼ一望の下に見下ろせる。真っ先に目につくのは,左手にある巨大な多面体のドーム型屋根だ。地球の水晶を思わせる素材で造られているので,日中はどこから見ても,鋭い反射光が目に突き刺さってくる。どこにいても,神である太陽の存在を意識せざるを得ないこの建物は,毎朝夕の礼拝に市民が集う会堂であり,地区ごとに自治を行う長老会議の議場ともなる。ネルヴァの都市は,このような会堂が中心となった大小様々なコミューンの集合体といってよく,快適な清潔さや地域格差の少ない行政サービスなど,理想的な環境を保てる要因は,どうやらそんなネルヴァの社会構造にもあるらしかった。


 タニス市で最大のコミューンであるヨナス地区の大学生、キリアン・セータがナユタ学部長から突然の呼び出しをくらったのは,学食で仲間と,1ヵ月後に迫った秋の大礼拝の話題で盛り上がっている最中だった。
 あわてて学部長室に飛んで行ったが,来客がありしばらく廊下で待たされるはめになる。所在なく戸口に寄りかかっていると,ドカドカと足音も高く,さっきまで一緒だった仲間たちが通りかかる。
「やあ,タル。」
「何だよキリアン。呼びつけられたのに,入れないのか?」
「なんだかしつこいセールスマンが来てるらしいよ。」
「学部長が,しつこくからかってる方だったりして。」
 タルのわざとらしい大声に,仲間たちもそうだそうだとはやし立てる。キリアンはちらりと戸口をうかがい,思い切り声をひそめた。
「これから説教くらうかも知れないんだから,ちょっとまずいよ,タル。」
 それでもタルは,意味ありげにニヤニヤ笑っている。
「心配すんなって。俺たちここで待ってて,何かあったら殴り込んでやるから。」
「先ず,そんなことにはならないだろうけどね。」別の仲間も口を添える。
「もしかして,みんなは僕が呼ばれた訳を知ってるの?」
 キリアンがますます不安を募らせたその時,学部長室の扉が開き,憮然とした表情の中年男が帰っていった。それを見送った女性秘書に促され,仲間たちのワケありのニヤニヤ笑いを背に,キリアンは戸口をくぐる。
 ナユタ学部長は,窓際のサブデスクの前で,立ったまま端末の画面にかがみ込んでいた。キリアンの気配を察すると,ひょいと顔を上げ,
「待たせてすまん。」と先ず詫びた。
「ソフト会社のアポなしセールスマンがしつこくてね。このデータで最後だから,ロードするまでどっかその辺に座っててくれ。」
 そう言い終えるとまたかがみ込んでしまう。キリアンは言われた通り,デスク向かいのソファーに腰を下ろした。
 学部長が端末での操作を終えると,数秒後にモニター下のスリットから,掌におさまる大きさの透明なデータ・カードが出てきた。それを片手でもてあそびながら,学部長はようやくキリアンに向き直る。
「何のために呼ばれたのか,たぶん見当はついてるだろうが…」キリアンが真顔で首を横に振ったので,学部長は訝った。
「廊下で,タル・ドーンたちと話してたんじやないのか? 連中の情報網なら…」
 キリアンは肩をすくめ,
「教えたくなかったんでしょうね。」と答える。学部長は面白そうに笑い,
「それじゃ,“6ヶ月研修”の制度のことは,聞いたことぐらいはあるだろうな?」と言いながら,デスク下の椅子を引っぱって,キリアンの正面に腰を下ろした。キリアンの方は,驚いて腰を浮かしている。
「まさか,僕が選ばれたtんですか?」
「そうだと言ったら,何か問題か?」
「だって,僕の成績じゃ資格がありませんよ。」
「確かに,君はトップクラスという訳じゃない。だが今回の仕事にはぴったりだと思ったんで推薦したら,学内会議であっさり認めてくれたんだよ。」学部長はそう言って,胸を張って見せた。
 6ヶ月研修とは,ネルヴァの全ての大学で導入が義務づけられている育成制度の1つで,優秀な学生には早くから社会での実務を体験させ,即戦力を育てようという目的がある。選ばれた数十名の学生は,卒業の半年前に大学から仕事を紹介され,使えるようなら卒業試験(ファイナル)を待たずに卒業の資格が与えられる。その後はそのまま仕事を続けてもよし,都合が悪ければ別の仕事を選ぶことも自由だ。
 そんな有利な制度の恩恵に浴せるとは,願ってもみない幸運にキリアンの胸は躍ったが,同時に不安な気持ちもあった。
「僕にぴったりって,どんな仕事なんですか? 本当に勤まるんでしょうか?」
 当然の質問に,学部長は口許を引き結び,厳かな表情になって,逆に問いかけてきた。
「このネルヴァに,画期的な客(ゲスト)がやって来るという話を聞いたことは?」
「噂を耳にしたことはあります。何でも,神殿が大手旅行会社の契約ライターを招いたとか。」
「その噂は事実だ。ゲストの名はピーター・アレン。地球生まれで,アンドロメダに本社のあるビッグ・ガイド・トラベラーズ社の契約ライターとして,辺境シリーズを手がけているそうだ。」辺境シリーズと聞いて,キリアンの心臓がびくんと鳴った。
「それ,このあたりで今一番売れてるガイド本ですよ! 父が第1巻を持ってます。まさか…。」
 学部長は微笑し,「そのまさかだよ,君には,そのピーター・アレンの専属ガイドを務めてほしい。」と請けあったが,キリアンからの反応がない。
「おい,断るなんて言わないでくれよ。うるさ方の前で君以外に考えられんと,太鼓判を押してしまったんだから。」
 キリアンは申し訳なさそうに,弱々しく首を振る。
「そんな重要なゲストなら,プロとしてキャリアを積んだ方がご案内する方が,間違いないのでは?」
「そんなことは,みんな考えたさ。だが,ミスター・アレンは素顔のネルヴァが見たいとおっしゃったそうだ。それには,下手に観光客慣れしたプロより,君たちのようにネルヴァの今を楽しんでいる学生の方がふさわしいと,結論が出た。それに…」
 ナユタ学部長はつと立ち上がり,窓辺に歩み寄って外を眺めた。
「それにお互い,兄上の思い出を吹っ切る,いいきっかけになるかも知れんしな。」
 やはり,とキリアンは思う。学部長も,あの日のことが忘れられない一人なのだ。
 キリアンの10年年上の兄,リオン・セータも,かつてこの大学で学んでいた。そして,ちょうど10年前,兄もこの部屋で,当時の学部長から6ヶ月研修生に選ばれたことを伝えられ,さる恒星系の要人のアシスタント・ガイドを務めることになった。その数ヶ月前には,所属していた学内聖歌隊の中から,大礼拝で歌う独唱者の一人にも抜擢され,兄は文字通り前途洋々の若者だった。
 ことにその年の春の大礼拝は,幼いキリアンに深い印象を残した。ガー司祭長を凌いで,ネルヴァじゅうの市民を虜にしてしまった兄の美しい歌声と,誇らしげな両親の表情を,いまだに鮮明に思い出すことが出来るほどだ。その後半年を待たず,全てが崩れ去ったのだから,それも当然のことだろう。
 兄は生まれて初めての仕事に出かけたその日,アシスタント・ガイドを務めるはずだった要人の暗殺事件に巻き込まれ,帰らぬ人となったのである。
 両親はキリアンに,犯人は避暑に訪れた要人と同郷の,同行取材の記者だったらしいと教えてくれたが,その星の内政とも絡むため,詳細は遺族にも伏せられたままだった。
 学部長は窓辺に立ち続けている。表情は見えなくても,キリアンにはその胸の内が,なぜかよく分かる気がした。
 もう10何年以上昔になってしまったが,ジュニア・スクールに上がったばかりの小さなキリアンは,午前中で授業が終わると,よく兄を慕ってここまで遊びに来たものだった。そんな時,自分には子供がいなくて淋しいからと,キリアンを自分のオフィスに招き入れ,兄の講義が終わるまで相手をしてくれたのが,このナユタ学部長なのだ。自分は兄ほど出来た生徒になれなかったが,この人は同じチャンスをくれようとしている。
 学部長が窓辺から振り返り,もてあそんでいた先刻のデータカードをキリアンに差し出した。
「これが,ミスター・アレンに関する全資料だ。返事は内容を把握してからで構わないよ。これを見ながら,じっくり考えるといい。」
 だが,カードを受け取った瞬間,キリアンの気持ちは決まった。
「そんなゲストを任せて頂けるなんて光栄です。ご期待は決して裏切りません。」
 ナユタ学部長が微笑んだ。女性秘書が出口への扉を開くと,悪友どもが歓声を上げて出て来たキリアンを取り囲み,一団となって学内のカフェテリアへ移動していった。


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