マリウスの宝石(第3話)
 タニス市の東のはずれ,コートの丘と呼ばれる高台に,歴代司祭長の住まう巨大な神殿がそびえている。前庭は,4万人は収容可能な野外礼拝堂となっていて,司祭や独唱者たちがズラリと並ぶ祭壇を中心に,会衆席が円形に取り巻いている。ここでは例年2度の大礼拝が執り行われるほか,特別な祝祭日には市民と司祭長との謁見会場にも使われる。
 神殿に目を戻すと,正面入り口から,大木のような石柱の林立する長い回廊が,建物を2分する形で伸びている。回廊の両脇はそれぞれ中規模の礼拝堂で,神殿に働く人々の,毎朝夕の祈りの場となっているほか,聖日毎の記念礼拝もここで行われる。回廊を奥まで進むと,突き当たるのは小さな観音扉である。背の高い大人だと,やや腰をかがめなければ入れないほどの入り口だが,内部も比例して狭く,10人も入れば一杯になってしまう。それでも内装は壮麗で,歴代司祭長のプライベートな聖堂として,立派に役目を果たしている。
 今朝も早くから,分厚い聖典や典礼聖歌集を抱えたガー司祭長が,足早に回廊を抜けてゆくのを,何人かの神殿奉仕者が目撃した。大礼拝まであと1ヶ月ともなれば,司祭長は大変なのだ。毎年のこととはいえ,司祭長としての役目をつつがなく果たすためには,式次第をそらんじ,多くの聖句や聖歌,詩篇等を正確に暗誦しなければならない。今日は,少なくとも午前中いっぱいは篭っておられるだろうと,奉仕者達はささやき合い,素晴らしかった春の大礼拝に思いを馳せた。

 その外見と同様,気持ちもふくよかで思いやりに溢れ,豊かなバリトンの歌声で人々を魅了した前任のラオ司祭長が突然みまかったのは,もう13年も前のことだ。巫女(イオ)と呼ばれる,司祭の娘を母として生まれた,何人かの子供たちの中で,当時唯一成年に達していたガーは,葬儀の3日後神殿の長老司祭に呼び出され,占者により司祭長の神託を賜った。そして,翌年春の大礼拝で,衛星電波を通じ,惑星全土にそれを宣言したのだ。
 前任のラオ司祭長に比べ,若輩者とのそしりは免れないと,神殿の誰もが憂慮したが,陽光にきらめく川面のような金の髪と,高音域がよく伸びる,透明な歌声を持つガー司祭長の美しさは,瞬く間に全惑星市民の心を奪ってしまった。

 今にして思えば,ラオ司祭長の亡くなる前後のネルヴァ市民の人心は,かなり不穏だったのではないだろうか。小聖堂のベンチの隅で,分厚い詩篇集のページを繰りながら,ガー司祭長はそんなことを考えていた。もちろん,当時は突然司祭長の神託を賜るなど,自分が混乱の中心にいたから,気付くどころではなかったけれど。
 神殿の帳簿や戸籍に目を通すようになって分かった事だが,ラオ司祭長の前任者あたりから,人口はじわじわ増え続けるのに,訪れる観光客の数が明らかに頭打ちで,将来に対する不安が神殿を中心に拡がり始めたところだったようだ。それが表面化に至らず,とりあえずの平穏を維持出来ていたのも,ラオ司祭長の人徳によるところが大きかったのだろう。その司祭長が突然の病で急逝したのだ。ネルヴァの市民である限り,どんなにいい加減な信仰心の持ち主でも,強い不安を感じずにはいられなかったはずだ。ガーは12年前の春,野外礼拝堂を埋め尽くした群集達の,割れんばかりの歓呼と大合唱を思い出した。
 司式者のガーが,入道聖歌の出だしの一節を謳いあげると,隻を切ったような会衆たちの大合唱が続き,何が起こったのかと,一瞬ひるんでしまったほどだ。もちろん,司祭の家系に生まれたガーは,独唱者として小さな頃から祭壇で歌っていたし,祭壇奉仕者として祭壇裏に控え,司祭長の頌栄に聞き入ったこともあり,かなりの場数は踏んでいた。だからこそ,その時の会衆の反応が,常ならぬものだと分かったのだ。
 入道聖歌の最初の一節は司式者の独唱で始まる。これには人々を導く意味もあり,全ての礼拝の基本形式だが,その後二節目からすぐに歌い出すことが出来るのは,壇上の独唱者と,会衆の中でも自分の声にプライドを持つ者とに,いつも限られる。大半の会衆は,楽曲が進むにつれて,おずおずと唱和に加わるので,歌声の力が徐々に増していき,今年も無事に大礼拝に参加できる喜びが,じわじわと拡がるのが常なのだ。だが,あの日の礼拝は違っていた。
 全会衆席と,入りきれずに周囲を取り巻いた群衆は,明らかに何かを求めていた。だからこそ,彼らは進んで心を開いたのだ。
 若く,美しい聖職者としての自分に向けられたあの歓呼と大合唱の嵐。あれは彼らの要求だ。要求だったのだ。

 ピーッという端末の呼び出し音で,司祭長は考え事を中断した。手元には,詩篇集の最初に開いたページがそのままになっている。ため息をつきながらその脇に置いた端末を覗き込むと,秘書係がそろそろご昼食のお時間ですと告げた。そういえば,今日はヨナス地区の長老司祭長と,会食の予定があったっけ。すぐに支度すると返事をして,端末の別のスイッチに触れ,祭壇奉仕の少年を呼び出して,小聖堂の本を書架に戻してくれるよう頼んでおく。端末だけを小脇に抱えて,司祭長は立ち上がった。



ネルヴァ

 軌道上から見た惑星ネルヴァは,薄い大気に守られてはいるものの,一見ただの岩の塊にしか見えなかった。おまけに小規模ではあるがハリケーンの渦が散見され,惑星全土が強風に吹きさらされているらしいことが分かる。その風に巻き上がる砂塵の彼方に,幾つかの大規模なドーム型都市が見えた。
 アンドロメダとマリウスを往復する,定期連絡船内の小型スクリーンで初めてその姿を捉えた時,アレンはてっきり,パイロットがコースを間違えたのだと思った。抗議しようとインターコムに手を伸ばしかけ,スクリーン右上の惑星名と位置座標の数値を読み取って,思わず長い溜息をついてしまった。人口が少ないのかも知れないが,あんな荒涼とした星が観光収入でやっていけるとは,とても信じられない。だが,これまでに接したあの星に関する資料の全てが,それが真実であることを物語っている。
 曰く,ネルヴァを一度でも訪れ,その真髄に触れた者は,再び戻らずにいられなくなる。
 一体なぜ?
 これまでずっと,あくびをかみ殺すのが仕事だった辺境シリーズだが,アレンは今やっと,初心に返ったような気分を取り戻していた。この仕事は,絶対モノにするぞ。
 着陸に備えながら,アレンの表情がぐっと引き締まった。

 連絡船到着のアナウンスが耳を打ち,キリアンははっとして身を起こした。
 いつの間にか,広い到着ロビーは出迎えのガイド達でごった返し,窓際の座り心地のよいソファーに腰掛けていたとはいえ,こんな喧騒のさなかに眠りこんだ自分にしばしあきれ返ってから,キリアンは立ち上がると,第6ゲートへと急いだ。ゲートはキリアンの座っていたソファーとちょうど対角の位置で,かなり距離がある。足早に歩を進めながらも,キリアンの意識はいつの間にか,昨夜目を通したミスター・アレンの資料に戻ってゆく。
 それはまさに驚異の世界で,気がつくと夜を徹して画面に見入っていた。キリアンは,あまたのあらゆる星々に,それぞれの物語があることを知った。そして,ピーター・アレンという男が,ただの旅行記者ではないということも。彼について,キリアンの頭に先ず浮かんだのは,「吟遊詩人」という言葉だ。はるか昔,生まれたばかりのこの星の集落の真ん中に,天から舞い降り,人々に太陽神(ナノ)の物語を伝えたという,ネルヴァ唯一の吟遊詩人。彼の詩は聖典となり,日々の祈りを今日も支えている。ピーター・アレンにこの話を聞かせたら,彼は何と言うだろう?
 キリアンはわくわくしながら,人混みをかき分け進んでいった。

 アレンは,乗客の中では一番最後にタラップに足を乗せ,戸口から外を見やって,思わぬ人混みに目を見張った。宇宙港でこれほどの人を見たのは,辺境シリーズでは初めてだ。この星への訪問者には必ず一人は付くのがならわしという,専属ガイドを目で探しながら,アレンは今回の旅程を思い返す。
 船内のレストランや展望ラウンジなど,人の集まるどんな場所でも,行楽客にありがちな酒を飲んでの馬鹿騒ぎや,躾のなっていないガキどもの船内大運動会に,今回に限って一度も出くわさなかった。団体のツアー客がゼロで,一人旅か,多くても4,5人程度のグループ客ばかりだったせいもあのだろうが,彼らは静かに食事をし,ひがな一日端末に向かう。あるいは窓際にただ座って外の暗闇を見つめ,時には低い声で仲間と語り合った。だが,そんな通夜の席にも似た静けさの中で,人々の目的地への期待が徐々に高まっているのを,アレンは肌で感じ取れたほどだ。
 このような人々に愛される場所なら,きっと宇宙に浮かぶ宝石のように美しい星に違いない。そう思い込み,見事に裏切られたのはつい先刻のことだ。いいぞ,どんどんやってくれ。アレンが自分に気合を入れ,改めてガイドを探そうと人混みに気持ちを集中させた時,目の前に長いローブのような衣服をまとった若者が立った。短い金色の髪が天井からの照明を反射して,まぶしいほどに輝いている。
「ピーター・アレンさんですね?
 初めまして,あなたの専属ガイドの,キリアン・セータです。」
 さっと右手を差し出す。地球式の「握手」だ。その上,こんな最果ての星で,流れるように完璧なアンドロメダ標準語。アレンは握手を返しながら,思わず言ってしまった。
「まいったな。キリアン,君に先ず2点だ。」
「え,何のことですか?」
 実を言うと,これはアレンのちょっとした企業秘密。観光地などの取材先で自分が驚いたり感動したりするごとに加点し,それをガイド本の内容に直接反映させてゆく。それを簡単に説明し,さっきから驚かされ通しだと告げると,キリアンは面白そうに笑って耳を傾けてくれた。いい若者だ。
「あなたが驚いたら僕に1点,それじゃ,もし僕があなたに驚いたらこちらからも一点,っていうのはどうですか?」
 アレンもにっこりと笑顔を返す。
「素晴らしい。完璧に平等だ。君は最高のガイドだよ。」今度は,キリアンの目がどんぐりになった。
「ミスター・アレンに1点!」
「どうしてだ? 誰かに一度くらい,言われた事あるだろ?」
「あり得ませんよ。だって,今日が僕の初仕事なんです。厳密には,大学だってまだ卒業してないんですから。」
「そういや,着陸前に連絡をくれた係官が,そんなこと言ってたっけ。すっかり忘れてたが。ちくしょう,また1点取られたぞ。」アレンがわざと憎々しげに顔を歪めたので,キリアンも大げさに恐がって見せ,一瞬後,2人は声を上げて笑い合った。
 快い笑いの余韻を楽しみながら宇宙港出口に向かい,反重力のシャトルバスに乗り込むと,キリアンはアレンを導き,最後尾の窓際の席に陣取る。小ぎれいで落ち着いた窓外の町並みを眺めながら,アレンは謎の一つが解けたように思った。素直で明るい人々。自分達と同じような出会いの光景を,ロビーのあちこちで目にした。噂通り,宝石のような惑星なのかも知れない。それも,本来の意味での。
 アレンは,そうであってほしいと心から願った。

 宇宙港からホテルへの,見慣れた景色を見つめながら,キリアンは今日の自分に驚いていた。いつも見守ってくれていた兄が亡くなって以来,初対面の相手には必ず人見知りするようになっていたのだ。それが今日は,ミスター・アレンの「企業秘密」を聞く間に,すっかり楽しい気分にひたってしまった。理由は考えるまでもない。ミスター・アレンはキリアンから見れば,鋭い眼差しを持つ完璧な大人の男性だが,おどけた表情の瞳の奥に,少年のきらめきがちらりと覗くことがある。遠い日に見上げていた誰かの残像と,それはぴったりと重なり合うのだ。そうと知った瞬間,キリアンはあの頃の,のびのびと開放され切った自分を取り戻していた。ひょっとして馴れ馴れし過ぎたかも,と疑ってみたが,ミスター・アレンが気を悪くしたようには見えない。それどころかとても楽しそうだった。キリアンは,それが自分だけの思い込みでないようにと願った。

 夕刻が迫り,空の色が変わり始める頃,シャトルバスはホテルの正面玄関に滑り込んだ。さっきから窓に顔を押し付けたままだったアレンが,もどかしげにバスから飛び降り,迎えに出た支配人の姿にも気付かず,夕空を見つめる。感極まったような彼の溜息が,傍らのキリアンの耳にもはっきり聞こえて来た。ドームの境界面(ホリゾント)の外で荒れ狂う砂嵐が,かなり弱まっているのも見て取れる。キリアンは,放っておけばいつまでも動きそうにないアレンを急き立てて,ホテルのロビーへと招じ入れながら声をかけた。
「明日,もっと広い場所へご案内しましょう。お隣のメイナス地区に,専用のドームがあるんです。ネルヴァ一,美しい落日をご覧になれますよ。」
「今からじゃ,駄目なのか?」
「着く頃には沈みきって真っ暗ですよ。それに,今日はお疲れでしょうから,早めにお休みになった方が…。」
 あくまで顔を空に向けたままのアレンを引きずって,キリアンはリフトに乗り込んだ。


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