マリウスの宝石(第4話)
 翌日,アレンが約束の時間より少し早めにロビーへ降りていくと,若いガイドが丁度フロントのカウンターにたどり着いたところだった。そっと後ろに回りこみ,「おう,早いな!」と声をかける。ガイドは優に30センチは飛び上がった。
「もう,朝からおどかさないで下さいよ。昨日は長旅でお疲れのご様子でしたから,もっとゆっくりされてると思ったのに…。今日はミスターアレンが1点先取ですね。」
「そう来ると思ったから,早めのモーニングコールを頼んだのさ。言っとくが,今日は1点もやらないからな!」
「いいんですか? そんなに大きく出て。お忘れのようですけど,ここは僕らの星なんです。あなたのご存知ないことの方が,多いと思いますよ。」言い終えると,キリアンは唐突に踵を返し,早足に出口に向かう。
「おい,フェアじゃねーぞ。情報は事前にちゃんと提供しろよ!」小走りになって後を追いながら,アレンもやり返す。
「もちろんそのつもりです…あっ,そっちは扉じゃ…」
 が,遅かった。キリアンの向かった扉の隣から外へ出ようとしたアレンは,ガラスとは別物の,分厚い透明な壁にぶち当たり,後ろへはじき飛ばされてしまったのだ。
 盛大に尻もちをつきながら,それでも悪態だけは忘れない。
「…ったく,何てホテルだ! 出入り口が狭すぎる! おい,今のはパスだぜ。教えるのが遅すぎる。」
「そんな,扉かどうかぐらい,見ればお分かりでしょう?」
「ふん,さっきは俺を挑発して,あとを追わせるようにしたくせに,言ってくれるぜ。」そういったアレンの口が,思いっきりとんがっている。
「ミスター・アレン。僕ぐらいの子供に,あなたみたいなせこい大人にはなりたくないって,言われたことありません?」
「子供になんか,好かれたいと思わんね!」
 とうとうキリアンは吹き出した。
 ホテルの玄関先でバスの到着を待つ間,楽しい1日の予感に若いキリアンの胸は躍ったが,アレンの方は全く別のことを考えていた。
 取材先での最初の1日は挨拶回りと決まっている。今日はこれから,この星の執政官等数人のVIPに会わなければならない。取材の成否が決まってしまうこともある重要な仕事である。これまでの少なからぬ経験から,どんな人物でもそれなりの対処は出来るようになっているが,このネルヴァは一神教を奉じるユニークなドーム都市国家だ。常識がアンドロメダ標準語のようには通用しない可能性も,頭の隅に入れておかねばならないだろう。
 到着したバスに乗り込むと,アレンは早速,最初に訪問予定の人物について,キリアンに質問し始めた。

 長い回廊や渡り廊下を延々と歩いて2人がたどり着いたのは,アレンの身長の2倍はありそうな,巨大なアーチ型の観音扉の前だった。今,その扉がゆっくりと開き,中から溢れる白い光のまぶしさに,アレンは思わず目をしばたたいた。案内してくれている奉仕者の後について中に入ると,そこは謁見の間と聞いてアレンが想像していたよりかなり狭く,装飾もあまりない,シンプルといえる部屋だった。だが,三方を白い壁に囲まれ,正面奥の4つ目の壁も全面大窓という,この星の人々にとっては神の恵みそのものである陽光を,ふんだんに取り入れる造りになっている。地球人のアレンにとっては,少々キツすぎる明るさだが,ここでサングラスというわけにもいかない。
 部屋の奥には,一段高くなった舞台の上に高い背もたれと優雅な肘掛のついた見るからに立派な椅子が置かれ,そこに,神(ナノ)の恵みを一身に背負って,若い司祭長が座っていた。椅子の両脇に,数名の長老司祭たちも控えている。
 案内係が戸口まで退くと,キリアンが先ず進み出て,来訪の目的を告げ,司祭長にアレンを紹介した。すると司祭長は椅子から立ち上がり,舞台を降りて,ネルヴァ式の歓迎の挨拶をしてくれた。だが,肝心のアレンの方が,棒を飲んだように動かない。慌てたキリアンが上着の袖を引っ張って,ようやく我に返る始末だ。
「そんなに緊張なさる必要はありませんよ。私の肩書など,この星を出たら何の意味もないものでしょうからね。」
 司祭長自らがフォローしてくれたが,もとよりアレンは,そんな肩書などものともしていなかったのだ。
「とんでもありません! 失礼をお詫びします。ちょっと驚いただけなんです。あなたがあんまり,私の初恋の女性に似て,お美しいもので!」
 すぐ隣でキリアンが息を飲み,司祭長の目玉がどんぐりになる様子を,アレンはとっくりと楽しんだ。1拍おいて,司祭長が盛大に吹き出し,声を上げて笑い出す。つられてキリアンも笑顔になったが,後ろの長老司祭たちは決して笑おうとせず,中でも司祭長の左側に控える禿頭の人物は,アレンに射るような視線を送ってよこした。
「ヨナス地区のターナ議長が,画期的なゲストとしてあなたを推した訳が今,分かりました。」
 笑いをおさめた司祭長が,椅子に座り直してからアレンに言った。
「これほど小気味よい冗談を聞いたのは,おそらく司祭長になって初めてでしょうね。
 実を言うと,外部メディアの方をこちらからお招きするなんて,ネルヴァ開闢以来のことですし,あなたのご著書全てに目を通す時間もなくて,正直私は半信半疑だったのです。でも,やはり議長の目は確かだったようですね。あなたならきっと,我々の期待に応えて下さると信じています。」
 アレンは司祭長に,訝しげな視線を向けた。
「痛み入ります。しかし,私の仕事は,自分の見たままを文章にすることなんです。あなた方のご期待通りに書くとは限りませんが…。」
 司祭長はうなずいた。
「もちろん,それで結構です。ミスター・アレン,あなたの目で見たネルヴァを,ありのままに書いて頂きたい。どうかご存分に,取材なさってください。」
 両腕を胸の前で交差させ,軽く腰を落とすネルヴァ式の感謝の挨拶を返してから,アレンは再び口を開いた。
「1つだけ,その開闢以来の試みに挑戦なさる理由をお伺いしたいのですが…」
 司祭長は微笑んだが,その笑顔がなぜかさっきよりこわばっているように,アレンには感じられる。
「それについては,あなたを推薦なさったターナ議長に直接お尋ねになる方が良いでしょう。きっと興味深いお話が聞けますよ。」
 ここで時間が来たらしく,控えている長老の一人が何事か耳打ちすると,司祭長は立ち上がった。
「今日はお会い出来てとても楽しかった。何か問題があったら,どんなことでもおっしゃって下さい。」そう言い残し,黄金の長い髪をなびかせながら,司祭長が左手の小さな扉の向こうに消える。後に長老司祭たちが続き,最後にあの頭の禿げた男が,アレンを睨み付けたまま扉を閉じた。

 丘のふもとで反重力タクシーをつかまえて乗り込むと,キリアンはほっと溜め息をつく。
「参ったな,全く。」先に口を開いたのはアレンの方だ。
「とんでもない! 大したお手並みでしたよ。標準語の百戦錬磨とか,すれっからしとかいう言葉の意味を,初めて実感出来ました。」
「てことは,俺に100点ってか?」
「冗談でしょう? 僕,あきれてるのに。
 それにしても,ミルドン長老は妙でしたね。ずっとあなたを睨んでた。」
 おっと,素通りしようとしたが,やっぱりこの坊やも気付いてたのだ。
「あのハゲ,そういう名前なのか。どうやら一神教を奉じていても,君たちも一枚岩じゃないらしいな。」
 キリアンはどう説明したものかと,しばらく窓の外に目をやりながら考え,アレンに視線を戻した。
「もちろん,長老司祭の方々にも,神に与えられた役目があります。司祭長といえど,常に判断が正しいとは限りませんから。でも,どれほど意見の対立があろうと,司祭会議を経て決まったことは太陽神(ナノ)のご神託と同じ意味を持ちます。神の名の下にご招待したあなたにあんな態度を取るなんて,神への冒涜とも取られかねません。よりによって,長老司祭のお一人が…。」
 キリアンの不安そうな様子に,アレンは今ここで,この問題に深入りすべきではないと判断した。
「まあ,そう考え込むなよ。ミルドンのじいさんは,個人的に俺が気に入らなかっただけなのさ。好き嫌いまで,神様が何とか出来る訳でもないんだろ?」
 キリアンは自分を納得させるように,何度もうなずいた。

 2人を乗せたタクシーは,キリアンにはなじみ深い,ヨナス地区の会堂入り口に滑り込む。ドーム屋根の脇の建物の中では,この地区の長老議長が,2人の到着を待ちわびていた。
「ミスター・アレン。遠いところを,本当によくおいで下さった。」議長は2人が執務室に入るなり,窓際のデスクから立ち上がって両腕を広げ,歓迎してくれた。
 フェレイアス・ターナ長老議長は,下界ではもうかなりの年齢だという噂だそうだ。だが,間近で見ると白い顎鬚は豊かで肌にはつやもあり,まだまだ矍鑠としている。この星の人々なら,それを長年の信仰の賜物と言うのだろうが,特定の宗教に肩入れした経験のないアレンには,その辺はよく分からない。とにかく,彼が驚いたのはその瞳の輝きだ。この年齢で,これほど生き生きとした表情を見せる人物に,アレンはこれまで出会った覚えがない。彼は丁寧な返礼でその歓迎に応えた。
「ご挨拶痛み入ります。早速ですが,ガー司祭長のお話では,私が招かれることになったのは,議長のご提案あってのこととか。司祭長は,ネルヴァ開闢以来ともおっしゃっていましたが,そんなご提案をなさった目的を,先ずお聞かせ願えますか?」
「なるほど,率直なご質問ですな。あなたも,司祭長と同じ直截な目をしておられる。同じ資質をお持ちとお見受けしたのは,間違いではなかったようだ。」老議長は,質問には答えず,先ずはアレンを褒めそやした。彼は慌てて手を振り,
「とんでもない! 司祭長は,若くしてネルヴァのためにご自身を捧げられた方です。勝手気ままに生きている私などとは,まるっきりレベルが違いますよ。」と,議長に思い出させようとする。ターナ議長はそんなアレンに笑顔を返し,
「勝手気ままというのも,才能がなければ出来ないことではありませんか?
 さて,ご招待した目的を,お尋ねでしたな。」と,ようやく本題に入ってくれた。
「実はこちらでは,最近とある研究グループによる,重大な考古学的発見がありましてな。
 まだ公式発表の目処が立たないので,詳しくお話出来ませんが,何冊かの古文書で,書かれている内容が公になれば,現在ネルヴァの置かれている閉塞状況を,一気に打開する可能性を秘めたものです。」
 後ろに控えていたはずのキリアンの衣服のすそが,アレンのブーツに触れた。おそらく初耳だったに違いない。思わず礼儀を忘れたのだ。アレンはそんな若者にふと笑顔を向けてから,議長に目を戻し,
「閉塞状況ですって? まあ,我々の世界から見れば,恐ろしく管理の行き届いた社会なのは確かですね。しかし,ドーム都市というのは文字通り閉鎖空間ですし,その中では自ずと制約が必要でしょう。私には,都市国家としてのネルヴァは,飛び抜けた成功例のように見えますが…。」
「確かに,これまではそうでした。この星の理想的な社会システムの賜物だとも言えるでしょうな。けれど、だからと言っていつまでも、外部から隔離された状態で良い訳がありません。」老議長は他所者のアレンを前に、きっぱりと言い切った。
「だからこそ、我々にはあなたが必要なのです。幾つもの惑星世界を巡られたあなたの、偏りのない目で見たネルヴァを記述していただきたい。ご著書を読めば、あなたの文章がただのガイドにとどまらず、惑星世界を1つの物語として描き出されていることが分かります。完成された暁には、変わり行くネルヴァの新たな指針として役立ってくれると、信じて疑いません。」
 傍のキリアンが、議長の言葉を一言も聞き漏らすまいと、一心に前を見つめている。アレンは突然、この若者が羨ましくて仕方がなくなった。
「お話はよく分かりました。私なんぞでご期待に添えるのか、正直言って不安ですが、ベストを尽くすとお約束します。」
 議長が深く頷き、戸口に控えた奉仕者に合図をして、会見は終了した。出口を振り返ったアレンだが、ふと思いついて、老議長に視線を戻す。
「ところで、そんな大それた古文書というもの、一度実物を拝見したいのですが、取材の許可を頂けるでしょうか?」
 老議長の顔が、一瞬曇ったように見えた。
「大変申し訳ないが、即答は不可能です。実は神殿内に、古文書の公表を阻む勢力が存在するのです。こちらが目立った動きをすれば、私の提案を支持して下さったガー司祭長の身に、危険が及ぶ事にもなりかねません。どうかご理解頂きたい。」
「肝に銘じますよ。」アレンは即座に反応して、老議長を安心させた。なーに、蛇の道は蛇だ。細心の注意が必要だが、別のルートを探ってみるとしよう。
「神(ナノ)もあなたを待っておられたはずです。どうか格別のご加護がありますように。」
 立ち上がって両手を広げ、老議長がアレンのために祈ってくれる。彼は傍のキリアンに倣い、素直に頭を垂れた。


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