マリウスの宝石(第5話)
メイナス

 展望ドームはとにかく広い。内壁に沿って,ぐるりとベンチが取り囲んでいるが,アリーナは数万人は収容可能な広さがある。まだ夕刻には早かったが,少しでも良い場所を確保しようと,徐々に人が集まりつつあるところだ。
「ネルヴァ一の眺めってのは,間違いないんだろうな?」
「もちろんですとも。文句があれば,お代はお返しします,ってやつですよ。」
 こんな会話を交わしながら,アレンとキリアンもその人波に加わり,ドームにやって来た。
 アレンは,いつものやや猫背ぎみの歩き方だが,心なしか歩幅が広がって見える。司祭長らとの会見がうまくいった(と,少なくとも本人は信じている)証拠である。だが,本音を言えばターナ議長の眼力に舌を巻いた,というのが正直なところだ。それでもあの議長は,こちらを見透かしたような素振りは決して見せず,終始敬意を払って接してくれていた。これまで出会った多くの惑星の為政者達の中で,5本の指に入る人物なのは間違いない。美丈夫のガー司祭長にしても,不遜とも言えるアレンの,捨て身のジョークを笑い飛ばし,あの若さであっぱれな度量と言うほかはないし,これでまた1つ,謎の答えを見つけたようだとアレンは思う。為政者として質の高い人材が登用されるよう,システムが確立されているのだろう。この星の人々にとっては,それも神(ナノ)の賜物と言うのだろうが…。
 ドーム内はまだ空いたベンチが目立つ。2人が適当な場所に腰を降ろしてしばらくすると,人々のざわめきが耳につくようになってきた。アレンが目を上げると,いつの間にかかなりの人がアリーナを埋め,まだ増え続けている。長いローブの地元民らしい人の姿が結構多いことに驚いていると,隣のキリアンに肩をつつかれた。無言で見つめる先を追うと,いつもホリゾンドの外をゴウゴウと荒れ狂っている砂嵐が,風の音をほとんど聞き取れないほどに弱まっているのに気付く。
 と,見る間に空の色が変わりはじめた。砂塵の向こうで太陽が地平線に近づくにつれ,あたりにじわじわと,ピンクがかった薄紫の,不思議な色の美しい光が拡がってゆく。ドーム内のざわめきが徐々に弱まり,ついにしーんと静まり返った時,それを待っていたように,少し遠くから頌詠らしい歌声が流れてきた。かなり早くから,入り口付近に数人の地元民らしい若者たちが固まっていたのに気付いていたアレンは,彼らが歌ってるのだろうと見当をつけた。現地語で意味は分からないが,神である太陽との,しばしの別れを惜しむ歌なのだろう。どこか物悲しいメロディーに聞こえるのだ。
 その歌に合わせ,地元民たちがいっせいに跪き,頭を垂れて祈り始めたので,人の頭が歯の抜けたようにでこぼこになった。ふと気付くと,頌詠の歌声以外,何も聞こえなくなっている。外の砂嵐も,今はぴたりと止んでいるようだ。
 そして,煙幕のような砂塵が空から取り払われたその瞬間,えも言われぬ赤紫の燃える太陽が,ついに地平線に接触した。
 感極まった深い吐息があちこちで洩れ,アレンはいつの間にか,体ごと窓にへばり付くような格好で眺め入っている自分に気付いて,はっとさせられた。
 それほどまでに美しい,太陽と空の色だった。出来ることなら,このドームを出て,あの空を直に感じたかった。どんな事になってもいいから,あの美しい色の大気を胸いっぱいに吸い込んでみたい。アレンはそんな衝動を押さえ込むのに,かなりの努力をしなければならなかった。
 横目でそっと,傍のキリアンの様子をうかがう。彼は頭を垂れてはいなかった。顔をまっすぐ空に向け,まばたきもせず一心に見つめている。夕空を映したその瞳の透明な美しさに,アレンは心を打たれた。
 太陽が地平線に3分の2ほども隠れると,頌詠の曲調が目立って変化した。もの哀しさは消え,明るく希望を感じさせるメロディだ。その歌声は,暗さを増しはじめた空の色と,好対照をなしていた。

 神(ナノ)に創られ
 育まれし 我ら光の民
 この夜こそ
 神にかわって光(ネルヴァ)とならん
 真の光の巡り来る
 明日へと続く闇なれば

 キリアンが低くつぶやいていた。アレンのために,歌詞を通訳してくれているのだ。
 うん,だいたい思ってた通りの文句だな,とうなづきながらも,この素晴らしいセレモニーも終わりが近いことを,失望とともにアレンは見て取った。
 太陽はすっかり地平線に隠れ,後はつるべ落としに暗くなってゆくだけだろう。頌詠がひときわ高らかに盛上がって消えてしまうと,多くの人々が気を抜いて座り込みはじめる。空にはまたどこからか大風が復活して,ゴウゴウと砂塵を巻き上げている。すっかりコバルト・ブルーに変わってしまった窓の外を,未練がましく見つめつづける観光客もいたが,ドーム内に照明がともり,窓のシャッターが降りはじめると,諦めてぞろぞろと出口に向かった。

 その後,ホテルに向かうバスの中で,アレンはキリアンを夕食に誘ってみた。これまで,夜はその日に出会った出来事をゆっくり整理出来るため,一人で過ごすのが原則だったが,今夜だけは,誰か感動を分かち合える相手がほしい。キリアンは嬉しそうに応じてくれ,2人はホテル地階のレストランへ入っていった。
 店内はかなり広いようだが,アーチ型の太い柱で仕切られているので,プライベートな空間が確保される造りだ。落ち着ける壁際の席に案内されると,アレンは注文をキリアンに任せてみることにした。
 運ばれてきた料理を一口食べ,自分が正しい判断をした事で,すっかり上機嫌になったアレンが,先ず話を切り出した。
「今日の展望ドームは本当に素晴らしかった。ガー司祭長の美しさがすっかりかすんじまって,まさに奇蹟のような眺めじゃないか。大嵐が止んでくれたのにも驚いた。俺は運のいい日に来あわせたらしいが,それにしても…」キリアンが微笑した。
「いいえ,あのタイミングで嵐が止むのは,実はいつものことなんです。」
「…何だって?」
「だからこそ,僕等はあのセレモニーが,文字通り神(ナノ)の奇蹟なんだと信じられるんですよ。」
「…そうだったか,そりゃ確かに,奇蹟としか言いようがないだろうな。仕方ない,完敗を認めるよ。料理もうまいし,今日は君に1万点だ。」
 アレンがまた,大げさに肩を落としておちゃらけて見せたが,今回のキリアンはなぜか思案顔だ。
「ありがたくお受け出来ればいいんですが…。あのセレモニーばっかりは,僕の力の及ぶところじゃありません。よろしかったらその1万点,そっくり神に献上して下さると嬉しいですね。」
「全く,君は本当に正直でフェアな奴なんだな。それに先ず1点と,あとの9,999点を君んとこの神サマに,ってのはどうかな?」たまらず,キリアンは吹き出した。
「あなたって人も,ほんとに義理堅くて,涙が出ますよね。9,999点だなんて,子供じゃあるまいし…」そのまま笑い続けている。アレンは,この俺に向かって子供とは何だとやり返そうとしたが,キリアンの笑い声を聞くうちに,なんとなく気が変わった。そして,代わりにこんな話を切り出していた。
「とにかく,今日のあのセレモニーは,俺にとってすごく貴重なひとときになったんだよ。ただ美しいっていう以上のね。十何年振りかで,自分の原点とも言える体験を,思い出すことが出来たんだから。」
「原点,ですか?」
 キリアンがぐいと身を乗り出してくる。本気で興味を引かれた証拠だ。出会ってまだ2日だが,本当に打てば響く反応ばかり返ってくる奴だ。アレンは不思議な気分にとらわれながら,先を続けた。
「俺の生まれた惑星に,アフリカというでっかい大陸がある。18歳になった年に,10代の記念に何かやろうってことで,当時の仲間と3人で,そのアフリカへ旅行したんだ。今はどうなってるか知らんが,その頃のアフリカには,まだ自然保護区ってのが少し残っててな。サバンナという大草原に,絶滅寸前のいろんな動物が野生のままに暮らしてんだ。
 今から思えば,年々砂漠化が進んでたし,昔日の面影やいずこ…ってなレベルだったんだろうが,香港島という,マンションばっかりのせせこましい島で育った俺たちが,本物の大自然を実感するには十分だった。
 そしてそこで,俺は生まれて初めて,まっ平らな地平線にどでかい太陽が沈んでゆく,本物の夕陽を見た。
 1日の探検が終わって,現地人ガイドのオヤジと皆で宿へ戻る途中だった。俺たちはあたりが暗くなるのもかまわず,車を飛び降りて,全員で座り込んで眺め入っちまった。何より嬉しかったのは,そのひととき,俺たちも風景の一部になれたってことだ。
 つまり,誰かもっと遠くから夕陽を見てる奴がいたら,そいつには,あの夕陽と俺たちとが,1つの風景として見えるんだってことに気が付いたのさ。そりゃもう,素晴らしい一体感だよ!
 その夜は誰も眠れなくて,宿の前庭で火を焚いて,一晩中語り明かした。まるで今夜みたいな気分でな。ガイドのオヤジが,古いアフリカの歌をいくつか聴かせてくれたりもした。精霊という,木や花なんかの自然の生き物に宿る神への,祈りの歌なんだそうだが,不思議なメロディだったよ。
 宿の皆が寝静まると,明かりといったら焚火以外,空の星だけでさ。その星を仰ぎながら,ああ,このまま旅人になりてえなぁ…って,俺は初めて思ったんだ。
 これが俺の原点だったのさ。今から思えばな。多少の寄り道はしたが,旅をしながら稼げる道を選んで,こんなに遠くまで来ちまった。考えてみりゃ不思議だが,あの日のことを今日ほど鮮明に思い出せたことがないんだ。故郷への贔屓目もあって,あれほど感動する風景に出会わなかったからだろうな。だからこそ,今日は驚いたし,感謝もしてる。君たちの星の役に少しでも立てるよう,いい仕事を残したいと改めて決意したところなんだ。」
 1人で長々とまくし立てちまったが,今日ぐらい許されるだろう。そう自分を納得させながら,アレンは傍のグラスを取り,一口啜ってまた驚いた。芳醇な果実酒の味がする。これも,さっきキリアンが注文してくれたものだ。思わず顔を上げると,キリアンもじっとこちらを見つめている。そういや俺がしゃべってる間,こいつは一言も口を挟んでいない。相槌さえも聞こえなかった。だが,きらめくその瞳が全てを語っている。アレンは展望ドームでの,夕空を映して,まるで宝石のように輝いていた,若者の瞳を思い返した。
 結局,アレンがゆっくりとグラスの中身を飲み干すまで,キリアンは口を開かなかった。テーブルの上の空のグラスを見つめながら,若者はこんなことを口にした。
「あなたは,本当に『語り部』ですね。」
「あん? 俺が,何だって?」おっと,いけねえ。軽い酔い心地で,思わず舌が滑っちまった。今度はこいつの番だから,余計な合いの手は入れないと今,決めたところなのに。アレンは片手で口を覆い,キリアンに続けてくれと合図した。若者は笑って1つうなづき,素直に従った。
「あなたは,やっぱり『語り部』としてお生まれになった方なんだと,つくづく実感しています。学部長に頂いた資料の中の,あなたの著作を読んだ時も,旅行記というより物語を読むようで,すごくワクワクしましたし…。今もお話を聞きながら,そのアフリカという大陸も含めて,あなたのお生まれになった星に1度でいいから行ってみたくなってしまいました。」そうだろう。アレンはさっきから気付いていた。キリアンの瞳が,その口よりも多くを物語っているから。
「喜んでご招待申し上げたいが…。なんせ遠いんだよなぁ。ここからじゃ、ワープ・ドライブですっ飛ばしても、地球まで2週間はかかっちまう。一般人が旅行出来る距離じゃない…。だが、こういうことはいつチャンスが巡ってくるか知れん。君が今日のことを、忘れずにいてくれる限りはな。だから、もしその日が来たら、何年経ってても必ず知らせてくれよ。今日のお礼に、今度は俺が無料でガイドを務めるからさ。」
 だが、アレンの言葉が終わったとたん、キリアンの顔にさっと影がさした。見逃すアレンではない。
「…どうした?」
 無理に笑顔を作った若者の、声が震えた。
「あなたのお申し出は、本当にうれしいです。だけど、絶対に実現はしません。ネルヴァの民が神の恵み、つまり太陽(ナノ)の磁力圏より外に出ることは、この星の法律で禁止されているんです。」
「何だって?…いや、ちょっと待った。」一瞬面食らったアレンだが、すぐに心の中で、自分自身に舌打ちした。その法律なら知っている。事前調査は怠りなかったが、到着した宇宙港の立派な設備や思わぬ人混みを目にして、すっかり忘れていたのだ。そんなアレンの視線を避けたまま、キリアンが続ける。
「われわれの聖典に、こういう一節があります。『もし一人の光(ネルヴァ)の民,神の恵みたる光の外へ出るなら、その骨は砕かれ、微塵となって散るであろう…』
 もちろん、これは神を奉じるネルヴァの民に対して述べられたことで、訪問者であるあなた方には関係ありません。でも、ここで生まれた者にとっては、『骨が砕かれる』と言う表現が何かの比喩だとしても、警告として無視するわけには行かないんです。」
 何たることだ。アレンは自分自身の間抜けさ加減と、この星のアンバランスさを同時に呪った。そして、ターナ議長の言った閉塞感の意味を、やっと理解出来たと思う。出入り自由な観光客を、この星の人々はどんな思いで迎えてきたのだろう?
「なるほどな、生まれた時から恒星間旅行なんて当たり前、って世界で育った俺から見りゃ、ちょっとしたカルチャー・ショックだが…」アレンは努めて、明るい声で応じる。
「まぁ、色んな世界があるからなぁ。けど、そういやキリアン、昼間会ったターナ議長が、閉塞状況を打開する古文書がどうとか、言ってなかったか?」今度は、うまいタイミングで思い出せたぞ。キリアンの瞳に、ほんの少し光が射したように見える。
「お言葉ですが、太陽神を信じる僕らにとって、聖典は絶対的なものです。そこにこれだけはっきり書かれていることを、今さら変えようがありませんよ。」
「そうかも知れんが、その古文書とやら、何が何でも読みたくならないか?」
 キリアンが、はじかれたように顔を上げた。
「待っていれば、きっとそのうち公表されますよ。」だがあくまで、用心深い。
「俺の滞在中に、間に合うと思うか?」
「…ええと…」
「先ず無理なんだろ? だから、君から議長に頼んでみてほしいんだ。いきなり全部見せろとは言わん。だが、もう少し情報がほしい、ってな。」
「わかりました!」間髪を入れずに答えた若者の顔が、ようやく輝いた。アレンの方も胸の前で盛大に掌を打ち合わせると、驚いて振り返った数人の客には気付かず、果実酒のボトルを勢いよく引っつかむ。今度は呆れ顔のキリアンを横目に、なみなみとついだグラスを掲げ、アレンはニヤリと口の端をひん曲げた。


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