マリウスの宝石(第6話)
神殿へ…

 吉報は,思ったより早くやって来た。ターナ議長が2日後の午後,時間をつくって会ってくれると言う。古文書の実物を拝める訳ではないだろうが,発見に至るいきさつを,話してくれる気になったらしい。神殿の資料を参照しなければならないためと,秘密が洩れる可能性が一番低いという理由で,場所はガー司祭長のプライベートな礼拝堂が選ばれ,司祭長も立ち会うこととなったため,アレンは議長の依頼通り,前日の夕刻までに“礼拝形式についての質問”という架空の書類を神殿に提出することになった。
 午前中の空き時間には,優秀なガイドのキリアンが,到着初日にアレンがリクエストしていた“これまで観光客には見せた事のないネルヴァ”に案内すると言い出したからたまらない。
「なんだか朝から武者震いがするぞ,キリアン。」ホテルの入り口に横付けされた反重力タクシーに乗り込みながら,アレンが大げさに両腕を抱え込んだ。
「あんまり期待されると困ります。外部の方から見たら,大した事ない場所かも知れません…。」
「そんなことは関係ないさ。君がこっちのリクエスト通りの場所を,とにかく探し当てたってことが重要なんだ。無視してもよかったし,そんな場所はない,と答えたってよかったんだから。」
「そんな対応で,あなたが納得して下さるならいいですが…」
「なに,蛇の道は蛇,っていうだろ? 正規のルートがないなら,別の方法で探ればいいだけのことさ。ま,この星の場合は,ほんとにそんな怪しい場所は存在しない,って可能性も,なきにしもって気もするが。」
 そう言いながらも,車外を眺めるアレンの表情が次第にただならぬものに変わってゆく。
 住民たちの努力で,ドーム内の大地を覆うようになった緑が,ある地点から突然途絶え,ホリゾンド外の荒涼たる世界と,ほとんど見分けがつかなくなっているのだ。
 その荒れ果てた岩の大地の一角に,櫓のような塔が現れると,タクシーはみるみる近づき,塔のそばに停車した。
「ここがぎりぎりの安全地帯なんです。これ以上近づくと,風向きによっては放射能に汚染される危険があるので…。」
「放射能だと? 原発でもあったのか?」
「ええ。よくお分かりですね。前世紀の遺物,って奴です。外へ出られます?」
「当然だろ。ぎりぎり安全と言ったよな。」
 外に出てしばらく歩くと,前を行くキリアンが立ち止まり,彼方を指さしながら話し出した。
「あそこが,その原発の建物です。400年以上経ってるので,まともな記録が失われてますが,原子炉融解という大事故があったらしいですね。大量の放射能がもれて,犠牲者も多かったようで,おかげで当時まだ開発途上だった太陽エネルギーへの転換が,急速に進む事になったんだと,歴史の授業で習いましたよ。」
「なるほどな。そのへんの事情は,いずこも同じ,って感じだが…。」
 アレンも目を細めて,キリアンの視線の先を追う。原発だったと言う建物は,なんだか流線型で丸っこく,アレンの目には別の物体の残骸のようにも見えた。出来るだけ何気ない動作で,手元のリストウォッチを覗き込んだつもりだが,キリアンに目ざとく気付かれてしまった。
「時間なら,まだ大丈夫ですよ。もうしばらくここにいても,午後の予定に遅れるようなことにはなりません。でも,もう十分だとおっしゃるなら…」
「…そうだな,どうも放射能と聞くと,安全だと分かっていても居心地が悪くてな。そろそろ戻る方がよさそうだ。今日はリクエストに答えてくれて,ほんとに感謝してる。嬉しかったよ。」
 アレンはキリアンに調子を合わせてそう答えながら,今度は先に立って,タクシーに向かって歩き出した。自分の体で動作を隠しながら,もう一度リストウォッチをチェックする。思った通り,放射能の値は微動だにしていない。原子炉融解などと言う大事故なら,数百年前のものだとしても数値は一気に上がるはずだ。タクシーに乗り込む一瞬前,アレンは動作を止めてもう一度,彼方の物体を眺めた。クレーターのように円形にへこんだ地形が半径数キロも広がり,その真ん中に原発と言われる物体があった。アレンはその光景を心に留め,リストウォッチのデータのことは,キリアンには隠しておくことに決めた。

 アレン達が神殿にたどり着いてみると,礼拝堂ではターナ議長とガー司祭長が,すでに2人を待ち構えていた。
 司祭長の後ろの壁際には,分厚い布のベールを被った神殿奉仕者が一人控えている。
 迅速な対応にアレンが先ず礼を述べると,議長は破顔して,会衆席の小さなテーブルに置かれた端末を指し示した。
「まったく神のお計らいとは不思議なものでしてな。いつもと変わらぬはずの一日が,突然歴史の新たな1ページになってしまうもののようで…。」
「ターナ議長には数年前から,私の頼みでネルヴァの歴史書の編纂にたずさわって頂いていたのです。」議長のあとを引き取った司祭長が,そう言いながらするりとベンチに腰掛け,端末のスイッチを入れると軽やかにキーを叩きはじめた。
 画面に映る得体の知れないネルヴァ文字が,スクロールごとに,みるみるアンドロメダ標準語に変換されてゆく。
 さすがに若いだけのことはある。この司祭長,アンドロメダへ出てもプロのオペレーターとして,立派にやっていけるだろう。アレンは心の中で舌を巻いた。
「編纂作業に必要な資料は,主に歴代司祭長の方々の日誌なのですが…。前任のラオ司祭長もあまり端末機器をご存知なくて,日誌関係のデータ化は私の代で本格化したので,ターナ議長にはこちらに出向く形で,閲覧作業をして頂いていました。その最中に,古文書発見のきっかけとなる記述を,このラオ司祭長の日誌の中に見つけて…おっと,ここだ。」
 司祭長は手を止めて身体をずらし,アレンからも見やすいようにビューアーの角度を調節してくれる。輝く黄金の髪越しに,アレンも画面を覗き込み,その文字を声に出して読み上げた。
「『…今日,一人の客が別れの挨拶に現れた。彼と知り合って,私はどれほど多くの物語を知っただろう。彼もここの夕景を気に入り,何度も展望ドームに足を運んでくれたようだ。だがそれでも,旅立ってしまえば二度と再び,ここへは戻らないに違いない。
 はなむけに贈られたこの言葉が,こんにちただ今の,ネルヴァの全てなのだから。

ネルヴァよ
 来る者は拒まないが,適わぬ者を受け入れることはなく,
 目覚めた者が去ることも許されずに朽ち果てる場所。
 ネルヴァは見えないヴェールに守られた
 独特の理想郷だが,
 その意味するところは,穏やかな牢獄である。』

…なんてこった,フォレスト・ゲヘナとは!」
 思わずそう叫んで振り返った時,目に入ったターナ議長の表情が不穏な変化を見せたが,一瞬で単純な驚きの顔を取り繕った。アレンは見逃さなかった自分を,神(ナノ)に感謝したい気分だった。
「何です,そのゲヘナとは。どなたかのお名前のようですが…」司祭長が興味津々といった顔をアレンに向けている。
「その通り,オリオンの詩人と謳われた奇人です。メイン・ストリームを嫌って辺境を渡り歩いては,そこから契約しているオリオン座の出版社に,妙な詩を送りつけていたそうで。この“ネルヴァよ”と名付けられた詩は,ゲヘナ氏の遺作として伝わっている“天国(ヘイヴン)”という作品と,一箇所以外は全く同じだ。おそらくこちらがオリジナルでしょう。しかし,天国(ヘイヴン)がネルヴァのことだったとは…。」
「今,遺作とおっしゃいましたよね? ネルヴァを旅立って,どこへ向かうつもりだったんでしょう?」キリアンも,興味深げにアレンの後ろから首を突っ込んできた。
 自分以外に老議長の様子に気付いた者はなさそうだと,アレンは思いかけ,はたと壁際の,ベールを被った人物を思い出した。司祭長に神殿奉仕者とだけ紹介されたが,そもそもこの会見は極秘のはずだし,ベールの奥の彼の視線がずっと老議長に注がれ続けているような気もする。しかし議長は,そんな彼の存在を気にかける様子を見せていない。
 よく考えればアレン自身,この星に来て以来,全く一人になるのはホテルで休む時間だけだ。ネルヴァでは旅人一人に,必ず専属のガイドがついてくる。別の言い方をすれば,それは常に監視されているということだ。どうやらこの星では,それがあたり前になっているのだろうか。
 気付くと全員の視線が自分に注がれていて,アレンは頭を無理やり目の前の現実に引き戻した。
 キリアンの様子を見れば,彼が上からの指示を受けていることはあり得なそうだが,ベールの男は気にかかる。だが今はまずい。考え事は,一人になってからすればいい。アレンは質問に答えるためキリアンに顔を向けた。
「…残念ながら,彼がネルヴァを訪れていた事すら,これまで全く知られていないんだ。遺作と言われる“天国(ヘイブン) ”という詩にしてからが,救難信号用の非常ポッドにデータケースが入った状態で,かみのけ座あたりの空間を漂ってたのが,12〜3年程も前,すぐ近くに偶然ワープアウトした宇宙船のレーダーにかろうじて引っかかって回収された,というエピソードが伝わってるくらいだ。ポッドの劣化が激しかったんで,発信源も特定出来なかったらしい。
 その後どこからも彼の消息を聞かないので,おそらく深宇宙のどこかで事故に遭って,もうこの世にいないのだと言われるようになった。氏の熱狂的な支持者の中には,あの詩がそれこそタイトル通り,あの世から送られた遺言なのだと信じる一派もあるという話で…。」
「なるほど,ゲヘナ氏は興味深い人物のようですな。しかし,それほど著名な人物がこの地を訪れていたという事実が,全く知られていないのも妙ではありませんか。」
 ターナ議長が,もっともな疑問を口にした。
「彼が奇人の類だったのは事実でしょう。しかし,正直言って彼の詩は万人の好むものじゃない。著名とまで言えるかどうかは…。」
「それでもあなたは知っていた。失礼だが,遺作が発見されたという12,3年前と言えば,あなたはまだ…」
「おっしゃる通り,まだほんの子供です。もちろん当時は何も知りませんでしたし,実は私も,ゲヘナ氏ついてそんなに詳しい訳じゃない。ただ,仕事上のある先輩が氏に心酔していて,ヘイヴンというこの詩や,発見に至るエピソードを,耳にタコが出来るほど聞かせてくれたものでして。」
「なるほど,とんでもない偶然も,あったものですな。」
 老議長の声に,何かがあった。その空気を読み取ったのが,自分だけではないという確信もある。ベールの男を見ようとしたが,その前に老議長が立って視界が遮られていた。
「すみません,司祭長のお話の途中でしたよね。この日誌の何かが,古文書発見のきっかけなのでしょう?」アレンはいったん諦め,会見の本来の目的に集中しようと決めた。
「おっと,そうでしたね。この日誌を調べていた時点では,誰もゲヘナ氏のことは知らなかったので,この詩がどこから来たのか,あらゆる資料を当たることになったのです。古文書は,そのさまざまな資料のあちこちから,断片的なものが出てきたと,長老議長からはうかがっています。私も一部を見せて頂いただけなので,全体像がどんなものか,見当がつかないのですが…。」
 今度は皆の視線が,いっせいにターナ議長に注がれる。
 議長はゆっくりと長い髯に手をやって,なで付けるようなしぐさをしてから,おもむろに語り出した。
「この星の歴史書の編纂は,おそらく初めての試みではないでしょう。これまでも節々の年に,何らかの記録は残されてきました。だがそれらの中で古いものほど,同じ原典からの引用と思われる記述が多数認められたのです。私はここにいるセスを筆頭に,信徒奉仕者の何人かに頼んで,それら引用の断片を繋ぐ作業を行いました。
 司祭長にまだ一部しかお見せ出来ないのも,そんな事情によるものでして,実はまだ,全ての断片が揃ったとは言えない状態なのですよ。」
 議長がベールの男をセスと紹介したのでアレンは面食らった。この男,司祭長ではなく長老議長の配下だったのか?
 アレンが目をやると,そのセスはふと,彼の視線を避けたように見える。いや,避けたのは俺の視線じゃない。気がつくと,キリアンもセスと呼ばれた男に,さぐるような視線を向けていたのだ。
 ここで突然,端末がビーッと音を立てたので,アレンはびくっとして,また現実に引き戻された。
 司祭長が申し訳なさそうな表情で立ち上がり,次の予定があるので会見をお開きにしたいと頭を下げる。アレンは感謝の気持ちを込めてうなづき,端末を抱えて出てゆく後ろ姿を見送った。
 老議長もセスと共にその後を追い,扉の外には別の信徒奉仕者が控えていて,アレン達にも退出を促した。
 やれやれ。思わず口をついて出そうになった言葉を飲み込み,アレンも扉に向かうが,なぜかキリアンだけが,まだ呆然と立ち尽くしている。若者のローブの袖を引っ張って何とか正気づかせ,2人で神殿を後にした。
 いつもはキリアンが捕まえてくれる反重力タクシーに,今回はアレンが合図を送り,先ずはキリアンを先に車内に押し込んだ。ホテルに向かって走り出してからも,若者が押し黙ったままなのは少々気がかりだが,今のアレンにとっては,実はその方が都合がよかった。
 古文書に関する議長の説明は,一応納得のいくものだったが,もちろん言葉通りの事実があるとしての話だ。実はアレンの頭の中では,古文書に関して全く別の仮説が形を成しはじめていた。
 その真偽を確かめる方法も,1つだけ思いついた。今夜,一人になって行動できる時間に,実行に移すつもりだ。
 いつものキリアンなら,そんなアレンの様子を見逃してはくれなかったろう。だが今は,ありがたいことに若者の心はここになく,アレンはそれも神の思し召しに違いないと,単純に信じる事にした。


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