マリウスの宝石(第10話)
 その夜、ターナ議長逮捕のために“原発跡”を取り囲んでいた神殿警察官の十数名が、未明に暴走しかけた核融合炉の爆発に巻き込まれたが、犠牲は最小限にとどめられた。
 エネルギーが不十分だったおかげで、エンジン点火のシークエンスは自動的に中断され、核融合炉がミニ太陽と化し、惑星規模の大融解が起こる最悪の事態は、何とか避けられたのだ。
 だがエンジン爆発だけは免れず、建造物の大半が吹き飛んだため、それが宇宙船の残骸だったと判断できる材料も失われてしまった。
 ブリッジ付近にいたはずのターナ議長の遺体は、結局着衣の一部しか発見されなかった。
 倉庫にあった冷凍睡眠カプセルは、基本的にパイプで船のコンピュータにつながれ、エネルギーの供給を受けていたため、そのパイプから噴き出した炎で内部から炙られ、原型をとどめない物がほとんどだったが、中に1つ、そのパイプが切断されているものが見つかった。
 その中に閉じ込められていたピーター・アレンは、気道と両手や顔に軽い火傷を負った以外には大した怪我もなく、神殿警察官の応急処置で何とか意識を取り戻すと、運ばれる担架の上で報道カメラに向かって手を振ってみせ、ネルヴァ市民の喝采を浴びた。


 その前日から行方不明と伝えられていた、ヨナス地区の大学生キリアン・セータの死亡が確認されたのは、爆発事故から丸一日以上経ってからのことだった。
 アレンが救出された倉庫では、千体近くのカプセルが焼け落ちていたが、その約3割で、内部に遺体が見つかったのだ。そのどれもが、男女の区別さえつかないほどの惨状だったという。
 ところが、ある遺体の着衣の中から、本来あり得ない物が発見された。現在のネルヴァでデータ記録用に広く使われている、アンドロメダ標準の小さなデータカードで、結局それが決め手となった。
 アレンがそれを知らされたのは、念のため病院に一泊した後、帰郷の挨拶のために神殿へ出向いた時だった。
 ほぼ3日ぶりのガー司祭長は椅子から立ち上がることもなく、輝くばかりだった黄金の髪も白い肌もくすんで、芯から疲れ切っているようだった。その口から先ず飛び出した詫びの言葉をアレンが片手を上げて制すると、若い司祭長は一瞬息を飲んだが、気を取り直して傍らに控える青年に何ごとか囁いた。青年が差し出した丸い卓に何か小さな物を載せ、キリアンの遺品だと、司祭長は説明した。
 それは、アレンと出会う数日前、大学で渡された資料のコピーで、キリアン自身の声で感想などが新たに加えられているという。キリアンの声と聞いて、アレンの耳に出会った日の若者の快い笑い声が甦った。
「長時間熱に曝されたので、映像データは一部失われているようですが、これはぜひ、あなたに持っていて頂きたいのです。一度ヴューアーでご覧になれば、そう申し上げる理由も、きっと分かって頂けます。」
 アレンは眼の下に隈をつくった司祭長の顔がまともに見られず、仕方なく、煤けたデータカードに目を落とした。
「もうこの世にいない者の声や姿ほど、無気味なものはねえって、俺は思いますがね。」声が震えた。
「あの子が黒焦げになった証拠の品など、持ちたいと思いませんよ。」
 どうにか最後まで言い終えると、アレンはそのまま踵を返し、出口の扉まで突き進んだ。傍にいたあの青年が慌てて追いかけてきて、明後日の、“弟の”葬儀に参列してほしいと説得にかかったが、アレンは頑として首を横に振り、差し出された手を乱暴に振り払って、無言のまま神殿を後にした。

 その後、親族だけでひっそりと営まれたキリアンの葬儀に、アレンの姿はもちろんなかった。ただ、小さな祭壇の隅に、あの芳醇な果実酒の瓶が一本、手向けられていた。

 同じ日の夕刻、アレン以下数十名の観光客を乗せた定期連絡船が、ナノ恒星系の磁力圏を離れ、アンドロメダに向けてワープ・ドライブに突入した。

 全ネルヴァに新時代の到来を告げる、秋の大礼拝は、その一週間後の午後、神殿前庭の野外礼拝堂に、溢れんばかりの会衆を集めて挙行された。主催はガー司祭長と、新生ネルヴァ暫定政府準備会となっていた。
 異例ずくめの今回は、奥の祭壇の手前に演説用ブースが設けられ、各地区の長老議長が代わる代わる立って、爆発事故の顛末や、“原発跡”と言われていた建造物が実は宇宙船の残骸で、自分たちがナノの民ではなく宇宙移民であったこと、そのため今後は信仰と政治を分立させ、3年後を目標に初の議会選挙が行われる方針であることなどが次々と語られる。
 アレンはその様子を、連絡船内のレストランに置かれたホロヴィジョンで、数人の客に混じって眺めた。客の一人が合わせた周波数で現れたこの映像に、アレンはすっかり驚かされてしまった。ネルヴァの衛星放送電波が、亜空間を行き交うマスメディアの電波を通じて流されるなど、初めてのことなのだ。
 長老司祭たちの演説が終わると、略式の司祭服姿のガー司祭長が登場し、神殿の重要な役割りについて語り出していた。
「…近い将来、神殿は内外の協力を得て宇宙船を建造し、我々の本当の神(ナノ)を探す旅に出ることになるでしょう。それを知らずして、正しい未来を築くことは不可能だと思えるからです。そのためには、発見された宇宙船の航海日誌に従った聖典の読み直しなど、超えなければならない様々なハードルがあります。しかし、私たちは…」
 仕事上の義務感から、画面を見つめていたアレンだが、ガー司祭長の語るネルヴァの未来など、もうどうでもよくなってしまっている。個室に戻ろうと立ち上がりかけたが、画面から凛とした鈴のような音が響き、結局彼は引き戻されてしまった。
 祭壇の前からは既にブースが取り払われ、会衆席まで捉えるロングの映像に切り替わっている。画面中央を走る長い通路を、今度は正式な司祭服であるローブを纏った美丈夫のガー司祭長が、数人の礼拝奉仕者を従えしずしずと歩む。
 片手に持つ美しい細工の銀の長杖の先端に、鈴のような金属製の丸いものが付いていて、一足ごとに涼やかな音を響かせる。
 大礼拝が始まったのだ。
 司祭長は奥の祭壇に達すると、体の向きを変えて会衆と向き合った。すかさず地球のバグパイプに似た音色の伴奏が流れると、彼は両手を広げ、美しいテナーで詩篇の最初の一節を歌い上げた。淡い水色のローブを纏ったその姿は、まさに神の使者そのものだ。アレンが思わず感じ入っていると、独唱に新たな声が加わった。
 ガー司祭長の向こうを張る美声の主をカメラが捉えたとたん、アレンの表情が凍りついた。そこには歌うキリアン・セータの姿が映っていたのだ。アレンは一瞬、ナノの奇蹟を信じそうになったが、もちろんそんなはずがない。顔の造りや、髪の感じは確かに似ているが、よく見るとキリアンよりずっと大人っぽいのだ。そして、その悟りきったような瞳に気付いた時、アレンはやっと、それが誰だったのかを思い出した。
 あの日、自分の後を追いかけて来た、兄のリオン・セータだったのだ。
 分かってしまえば、その姿はキリアンとは似ても似つかない。さっきはどうして、間違えそうになったのだろう?
 司祭長とリオンとの素晴らしいハーモニーに、会衆は割れんばかりの喝采を送る。それに応えて片手を上げたリオンの、瞳の奥に湛えられた悲しみを捉えたとたん、アレンは居たたまれなくなった。けたたましい音を立てて立ち上がると、足元の椅子を乱暴にけちらして、彼はレストランを飛び出した。
 自室に駆け戻り、後ろで扉が閉まると、アレンはそのまま背中を預け、喘ぎながら天を仰いだ。
 あそこにはもう何もない。銀河マリウスの至宝は、永遠に失われたのだ。
 アレンは片手で眼を覆った。そのまま長い間、彼はその場を動けなかった。


アンドロメダ

 ビッグ・ガイド・トラベラーズ社のベストセラー、“辺境シリーズ”は、結局2巻目で打ち切りになった。ネルヴァでの顛末を、アレンが頑として書かなかったのだ。彼は直ちに契約を切られ、2巻目以降は原稿料はおろか旅費もいっさい支払わないと、会社から言い渡された。しばらくは人と会う気になれそうもなく、姿をくらますつもりだったが、例のフィルモア人の編集長が、なぜか執拗に連絡をよこした。アレンは仕方なく、とある週末、いつものバーで会うことを承知した。
 リフトの扉が開いたとたん、懐かしさがこみ上げて、アレンは目をしばたたいた。最後に編集長と飲んで以来二月と経っていないのに、何年も訪れなかった気分だ。店内を見渡すと、窓際のいつもの席で、さかんに手を振るフィルモア人を見つけた。だが、その姿は以前と打って変わって、やけにしょぼくれて見える。
「君があんまり遅いんでな、文無しになって、ここへ来る足代にも事欠いてるのではと、心配してたとこだ。」身を屈めて椅子にすべり込んだアレンが聞いたこの言葉も、全く毒を含んでいなかった。それどころか、なぜか温かさまで感じる。アレンも笑顔を返した。
「いや、2巻までの稿料も、それほど悪くなかったし…。贅沢をしなきゃ、しばらくは何とかなると思う。」
 ウェイターがアレンの注文を聞いてすぐに引っ込んだ。フィルモア人はいつものソルティ・ドックを一口すすり、「それを聞いて安心したよ。」と言った。そして、グラスを脇へ押しやり、本格的に話を切り出した。
「今の君が、誰かと飲みたい心境じゃないのは分かってるが、聞いてほしいことがあってね。実は、私もあの会社をクビになったんだよ。」
 驚いたアレンが、もしそれが自分の一件のとばっちりだとしたら、どう詫びていいのか分からない、と言うと、フィルモア人はあわてて両手を上げ、アレンを制した。
「待て待て、そういう話じゃない。第一、ネルヴァの一件にしたって、君に責任などあるものか!
 あそこで政変まがいの大騒動が起こるなんぞ、誰も予想しとらんかったし、君は監禁までされたんだ。一度ぐらい記事がモノにならなくたって仕方ない話さ。それをいきなり、契約を切ると言うんだから、あの社長にもあきれるよ。それで私は説得しようとしたんだ。君はドル箱だったから、それを思い出させればいいはずだった。結局見当違いだったがね。
 社長は君を切ると言ってきかん。しかも、ネルヴァへの旅費もいっさい出さんと言うじゃないか。それでつい頭に来て、『この石頭!』と怒鳴りつけ、その場でクビを言い渡された、って訳なのさ。」フィルモア人はひょいと肩を竦め、ソルティ・ドックをすすった。ぼうっと聞いていたアレンは、
『ヒノモトの国のサムライは、仁義を重んじる人々だった』という、ハイスクール時代に読んだ歴史教材の記録を思い出した。ヒノモトとは、古代の日本を表す言葉だ。「日が昇る場所」という意味だと習ったっけ。
 アレンが黙っているので、フィルモア人は話を続けることにしたようだ。
「なに、後悔はしとらんよ。こう見えても、私だって若い頃は、君のようにフリーランスで勝負したいと思ったこともある。いい機会だから、この際その夢を実現させることに決めたんだ。具体的なことはまだ白紙だが、編集者として君のような才能あるライターと、ぜひ契約したいと思っとる。それで、君さえよければ今ここで、とりあえずの返事がほしいんだが…。」
 ウェイターがやって来て、アレンの飲み物…例によって、パラノイア・ブランデー…を置いていった。一口飲もうと手を伸ばしかけ、アレンはそのまま凍りついた。
 彼の目の前で、全ての事象が動きを止める。まともな時間の流れにあるのは、自分自身と目の前のネソス産ブランデーのグラスだけだ。その酒は…その色は、最も美しい瞬間の、ネルヴァの空の色そのものだ。
 あの展望ドームで、あれほど感じ入って眺めていたのに、今の今までなぜ気付かずにいたのだろう?
 どうにか手を伸ばしてグラスを掴み、一口飲み下すと、喉から胃までが一気に熱くなった。そして、それをきっかけに、周囲の時間がゆっくりと戻ってくる。
 フィルモア人のグラスはほとんど空だったが、彼はそれでも、じっとアレンの返事を待ってくれていた。
「恩に着るよ、編集長。」
 ようやくアレンが答えると、フィルモア人は破顔して、何度もうなづいた。だがなぜか、以前のように大声でわめき立てたりしない。そして、グラスの残りを飲み干すと、静かに立ち上がった。
「ええと、そういうことなら、私はこれで失礼しなきゃならん。投資してくれそうな友人がいて、君のことを知らせる約束になってるんでね。君はゆっくり飲んでくといい。今日はなんと、私のおごりだからな。滅多にあるもんじゃないぞ。」アレンは驚いて腰を浮かせる。
「待ってくれ、あんたにそこまでしてもらう義理は…。」
「なに、ブシのナサケさ。」
 フィルモア人は、呆けているアレンに盛大に片目をつぶってみせ、背を向けて人いきれの彼方に消えていった。

 一人になると、アレンはようやく窓の外に目を向けた。そこには、いつもと変わらぬ、故郷香港と見まごう夜景が、どこまでも拡がっている。グラスに唇を当てたまま、アレンはしばし眺め入った。
 人が夜景を美しいと感じるのは、その光の一つ一つが、誰かの生活の証だと知っているからだ。だが、孤独をいやすあの輝きの中にも、今宵を限りに永遠の国へと旅立つ者がいる。
 いつかは俺も、永遠の眠りに就くだろう。その時に見る夢は、えも言われぬ薄紫の夕空と、その空を映し宝石のように輝くキリアン・セータの二つの瞳。それ以外では、絶対にあり得ない。

 アレンはゆっくりとテーブルに目を戻すと、グラスの中身を一気に喉に流しこみ、立ち上がって、窓外の光の海に最後の一瞥を投げた。


お*わ*り

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