マリウスの宝石(第9話)
 目が覚めると,霧が晴れたような気分だった。
「よお,スッキリした顔してるじゃねえか。」
 隣に座り込んでいる相棒も,請け合ってくれている。
「そうだな,かなり痛みは遠のいてるが,俺はどのくらい眠ったのかな?」
 リストウッチを覗き込んだが,よく考えるといつから眠り込んだのか,アレンは全く覚えていなかった。
「まあ,6,7時間てとこかな。もうしばらくゆっくりしろよ。どうせ事が起こるまでは,俺たちゃ役に立たんのだから。」ゲヘナはそう言いながら,座ったままの姿勢で伸びをする。
「事が起こるって,何かあるのか?」
「まあな。明朝…と言ってもあと数時間後だが,ターナの親父が逮捕されるのさ。今ごろはヨナス地区の奴の会堂と,この船の残骸の周りを,神殿警察が取り囲んでるはずだぜ。」長老議長の逮捕と聞いて,アレンはヒョウと口笛を鳴らす。
「何だかとんでもないことになってるな。それにしても,その情報どうやって仕入れてるんだ?」
「後ろの壁さ。」ゲヘナは事もなげに,顎をしゃくって見せる。その壁面操作パネルに目を向け,アレンは目を見開いた。
「通信装置を復活させたのか? 驚いたな! どことつながってるんだ?」
「そうだな,壊れかけの冷凍カプセルから何とか這い出た時は,俺もまだ少しマトモだったからな。この辛気臭い冷凍庫から早く出たくて,一応手を尽くしてみたわけだ。
 と言っても俺は詩人だから,手当たり次第に壁のスイッチに触れてみただけだが,どことつながったと思う?
 いきなり長いブロンドの,きれいな兄ちゃんが出て来た時にゃ,俺はまたラリってるのかと自分を疑ったぜ。しかもそのブロンド兄ちゃんが,新しい司祭長ときたもんだ。」
「なんと,神殿につながったのか。あんた詩人にしちゃ,大した強運じゃないか。」
「そう思うか? ま,お陰で連中のスパイごっこに付き合わされてるが…。」
「すぐ助け出してくれると,司祭長は言ってくれなかったのか?」急に不安になって,アレンは思わず尋ねる。
「おお,そりゃすぐに何とかしてくれると言ってたさ。だがよく考えると,現実世界には出版社の人が待ってるんだよな。もうしばらくここにいて,新しい司祭長様のお役に立つのも,いいもんだって気になってなあ。」
 ゲヘナの声色が,どこか奇妙だった。助け出されたくないような口ぶりだ。不自然な眼光の鋭さといい,どうも腑に落ちない部分がある。本人にどう尋ねたものかと思い巡らしていたアレンは,突然正解に思い当たった。
 “…俺はまたラリってるのかと自分を疑ったぜ…”
 そうだったのだ。誰かがコマンドを与えない限り開かない冬眠カプセルから,どうやって脱出出来たのか。答えは簡単なはずだった。いにしえのカプセルの誤作動。彼の体内には,中毒を起こすに十分な量の,覚醒剤が注入されたのだろう。冬眠カプセルの傍を離れる気は,目覚めた瞬間から彼にはなかったのだ。ターナ議長逮捕の話が本当なら,まだ救われるチャンスがあるだろうが…。見たところ,この倉庫は周囲の壁に出入り口は一切なない。天井のカプセルからは,どこかに出られるはずだが,アレンとしてはあのカプセルに入ることだけは,何とかご免こうむりたかった。
 ここはゲヘナの言う通り,事が起こるまでじっくり待つしかなさそうだ。アレンが諦めの境地に達した頃,今後はゲヘナが顔を天井に向け,鼻を蠢かせている。何事かと訝るアレンの耳にも,天井からブーンという低いうなりが届いた。驚いて腰を浮かすと,ゲヘナが横から上着の裾を引っぱっている。
「ゆっくりしてなって。お仲間が1人増えるだけのことさ。」
 それでもアレンは立ち上がり,じっと天井を見つめていると,カプセルの1つが蜂の巣のような仕切りを出たと思うとゆっくりと降りて来て,床面数センチの位置で止まった。カプセルの天辺からは透明な,植物の蔓のような細い管が伸び,天井の仕切りの奥へとつながっている。
 どう見ても棺桶を思い起こさせる,暗い色のカプセル上部に透明なガラス素材の小窓がある。そこから中を覗き込んで,アレンは声を絞り出した。
「…なんてこった…!」
 フラフラと2,3歩後ずさり,そのまま床に座り込む。ただならぬ気配を察してゲヘナも重い腰を上げ,アレンの傍からカプセルを覗いてつぶやいた。
「…キリアン坊やだったとはな。」アレンが問いかけるような視線を向けると,それに答えて付け加える。
「あんたが寝てる間に,一度司祭長と話してるのさ。そん時は彼らと一緒にいたんだから,先走って単独行動に出たのかも知れん。この年齢じゃ,仕方ないことだがな…。」
 アレンはゲヘナの話を半分も聞かず,居たたまれないと言うように立ち上がると,壁の操作パネルに飛びついた。
「ちょっと待った,カプセルはブリッジから,限られた人間にしか操作出来ない仕様になってるはずなんだ。でなきゃ大量殺人も簡単だからな。こんなとこから,今さら何をしたって…。」
「そんなことは俺にも分かる!」
 アレンはあちこちのスイッチを試しながら,ゲヘナに怒鳴り返す。
「通信装置は動くんだろ? 外と話せるなら,船内通話もいけるはずだ!
 今なら間違いなく,ターナの奴がブリッジにいるって事だろーが!」
 そのターナはきちがいだ。今さらきちがいと話したところで…。だがゲヘナは,言葉を呑み込んだ。
「ターナ!」
 画質の良くない画面の向こうでゆっくりとこちらを振り返った老議長は,アレンの怒声に動じる気配もなく,艶やかな白い顎鬚を右手でゆっくりとなでつけながら,微笑を浮かべている。
「さすがですな,ミスター・アレン。通信装置を生き返らせるとは。」
「キリアン・セータに何の関係がある? 何も知らない子供だぞ!
 今すぐあの子を開放しろ!」
「何も知らない,と言うのはどうでしょうか。この場所まで訪ねて来たのですからね,あなたを追って。」
「…あんたの運命は,風前の灯だぜ。」
 強い怒りで眩暈がぶり返し,思わず膝を折ったアレンの後ろから,ゲヘナが不気味に言い放った。
「これはこれは,フォレスト・ゲヘナがまだ生きていたとなれば,新た伝説が生まれそうですな。そんなことは,よく分かっていますよ。私だけじゃない,この星はもう,死んだも同然でしょうな。」
 ゲヘナに手を添えられ,アレンは何とか立ち上がって,ひたとターナを見据えた。
「神(ナノ)を奉じているあんたなら分かるはずだ。あの子はネルヴァの新時代を拓く力を持ってるんだぞ!」
 老議長は,心底驚いたという顔をした。
「神などいませんよ。あれは人身掌握のための,まやかしにしか過ぎません。
 あなたの方がよくお分かりかと思っていましたが…。そもそも我々は,ナノの民でさえなかったのです。この残骸が祖先の乗ってきた宇宙船だということはご存知でしょうが,航海日誌を解読して,この星が約束された新天地などでなく,事故による不時着だったことも明らかになったのです。呼吸する事が不可能な大気組成に,この大嵐では,ドーム都市を建造する以外,生き伸びる方法はなかったでしょうな。農業も地場産業も,大地で暮らせなければ成立ちません。太陽を崇め,美しい夕陽を神の恵みとして見世物にする以外,先祖たちの選択肢はありませんでした。私たちはまやかしの神に毎朝夕祈りを捧げ,聞き届けられると思い込まされ,生活の基盤として来たのです。滑稽と言うほかありません。ネルヴァの新時代ですって?我々の先祖は,不時着したこの星で,一代限りで滅びるべきだったのですよ。」
 ゲヘナが感極まった,とでも言うように遠い目で天井のカプセル群を見つめている。冗談じゃない。アレンは再び,老議長と向き合った。
「あんたはその歳で恐ろしく世間知らずだな。もっとも,外へ出たこともないんだから仕方ないが。
 俺は旅の空に憧れたからこんな仕事をしてるし,これまでも数え切れない惑星世界を巡って来た。だから断言してかまわんと思うが,この星の太陽信仰に似たまやかしの存在しない世界なんて,一つもないぜ。
 もっとも俺たちは,それをまやかしとは呼ばずに,“文化”と言ってるがな。
 この宇宙で暮らしてる生き物たちは,どいつもこいつも,神の庭で遊ぶ子供みたいなもんさ。自由に遊ばせてくれる限りは,神なんて居ても居なくても同じことだし,俺たちには関係ねぇよ。
 ネルヴァの成り立ちがどうだったとしても,今は輝ける未来を信じる若者達が育ってるんだ。俺は彼らの一人一人に,俺の訪ねた惑星世界の物語を伝えたいと思う。あんただってそのつもりで,この俺を選んでくれたんだと思ってたよ。」
 しかし、能面のような老議長の表情が動く事はなかった。
「恐らく何もかも,遅すぎたのでしょうな。未来を信じる若者たちだって,ナノの存在がまやかしだと知ったら,自殺を選ぶ者も多いと思いますよ。この世界のありようは,すっかり変わってしまうでしょう。私はネルヴァをを愛しています。神(ナノ)の滅びる時は,ネルヴァも滅びるべき時なのですよ。」
 その言葉の中に,何かがあった。通信は一方的に切られ,画面は一瞬で暗転したが,議長がその寸前に後ろを振り向き,何かのスイッチに触れた動きを,アレンは見逃さなかった。
 あわてて,キリアンの入れられたカプセルに走り寄る。ゲヘナもそんなアレンの気配を察して,何事かと後を追ってきた。
「この子を,外へ出せないか?」
「さっき言ったろ。ここからじゃどうしようもない。あんたもさっき分かってると…。」
 顔色を変えて尋ねるアレンに,ゲヘナは肩を竦めた。
「ぶっ壊すわけに行かないのか?」
「飛び道具がなきゃ,とても無理だ。見りゃ分かるだろ? 急に何を言い出すんだか…。」
「間違いない,奴はエンジンに点火する気だ! この時代の船には詳しくないが,ワープエンジン以前は核融合炉が一般的だったはずだから、不安定なミニ太陽と同じことになっちまう!」
「まあ,待てよ。エンジンが動いたって,この船を飛ばせるほどのエネルギーが残ってるとは思えんぞ。」
「奴は飛ばしたいわけじゃない! 核融合炉に火が入ればいいだけだ。確か、カプセル用のエネルギーは半永久で確保される仕組みなんだろ? それをまわせば,奴の目的が叶っちまう…。」ゲヘナはようやく理解したらしい。その表情が一瞬で凍りつき、突然傍のアレンの体を両手で抱え上げた。
「おい、何する気だ? 降ろせ! あの子を助けなきゃ…」
「…ラリってる時ってな、たいていの場合人さまの迷惑だが、たまには役に立たんとなぁ…」
 ブツブツ言いながら広い倉庫をゆっくり横切り、自分が入れられていたらしいカプセルのそばに来ると、扉を片足で器用に開き、その中にアレンを無理やり押し込んだ。
 アレンは何とか抵抗を試みるが、ゲヘナの両腕は万力のようだった。
「このカプセルだけは、本体からのパイプを引っこ抜いてあるからな、少なくとも爆風よけにはなるだろう。運がよけりゃ、生き残れるかも知れんぜ。」
「ゲヘナ、聞いてくれ、核融合炉が暴走しないような制御システムが、どこかにあるはずなんだ。そいつがまともに働くか、確かめなきゃならん…」言い終わらぬうちに、ゲヘナが何か小さなものを、アレンに投げてよこした。
「何しろラリってた時の詩ばかりだからな。本来の芸術作品とは呼べんが、仕方ない。出版社の人には幽霊からの、約束を守ってくれたお礼だと言っといてくれ。」
 それは直径数センチのデータカードだった。アレンはじっとゲヘナの輝く瞳を見つめ、黙って胸ポケットに収めた。同時に、低い地鳴りと共に最初の衝撃が倉庫を揺るがす。カプセルの扉が閉じられる寸前、アレンはたまらず叫んでいた。
「あの子を頼む!」
 伝説の詩人フォレスト・ゲヘナは、任せておけと言うように右手の拳で2,3度自分の胸を叩き、アレンの視界から消えていった。
 その直後、大きな揺れと轟音が何度か立て続くと、カプセルの小窓からは紅の炎と煙しか見えなくなった。そして、何度目かの大きな揺れでカプセルごとどこかへ飛ばされるのが感じられ、その衝撃でアレンは再び気を失った。


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