アンドロメダの歌姫(第1話)
 タラップから大地に足を下ろすと、ブーツの甲まで砂に埋まった。
 ジェシー・ゴードンは足を取られて転ばぬよう、用心しながらもう片方の足も下ろして、先ずはベルトのリモコン操作でゴーグルの視野角と明度の調整をした。だが、どちらもする必要はなかったようだ。
 その惑星は見渡す限り、どこまでも砂漠が拡がっていた。本来淡い紫色であるはずの空さえ、舞い上がった砂埃で茶色っぽく見え、黄色い太陽もすすけている。
 斥候部隊を率いて初めてこの惑星に降り立ったゴードンは、思わず溜め息をもらした。ゴーグルの明度をどこまで上げようとも、彼方の地平線は砂にけむってぼやけている。
 『もうすぐ砂嵐でも来そうな気配だな。』
 まだシャトル内部に残っている仲間の1人が、コムリンクを通して声をかけてきた。
 「だとするとますます仕事がやりにくいぜ。」
 ゴードンも調子を合わせてそう答え、恨めしそうに空を見上げたその時だった。
 すすけた太陽が突如、点滅を始めたのだ。
 「おい、見えてるか? 冗談じゃないぜ、太陽のくせにバッテリー切れとは!」
 思わずシャトルの仲間にそう叫び立て、直後にあの点滅には何か重大な意味があったはずだと思い至る。
 宇宙の神からの警告?
 いや、そんなことじゃない。そうだ、コール・サイン!

 次の瞬間、ジェシー・ゴードンと砂漠の惑星世界の全てがブラック・アウトした。
 この世のものとは思えぬ唸り声とともに、ピーター・アレンが端末デスクから立ち上がり、こめかみから端末につながった細い緑のワイヤーケーブルを乱暴に引っこ抜く。
 「ホルス出版のアーロン・コクのヤローだったら、金輪際〆切りなんぞ守ってやらんと言ってやる!
 稿料減らされようとかまうもんか!」
 構想中だった作品世界がようやく構築され始め、筆がノリ始めた矢先にどこからか緊急通信が入ったようだ。端末画面が、勝手に受信待機に切り替わっている。アレンは力の限り拳を固め、受信ボタンを殴りつけた。
 「…ピーター。」
 低いがどこか艶のある、囁くように甘いその声は間違いようがない。
 「ミランダ…。」
 押し殺したつもりだったが、声に苦味がにじみ出てしまった。
 「…本当にごめんなさい。転送先がそこだと聞いた時、執筆中なんだと分かったの。でも、これ以上先に伸ばすわけにも行かなくて…。」
 「詫びは必要ない。緊急回線を使うってことは、よほどの事情なんだろ? 役に立てるか分からんが、先ずは話を聞かせてくれ。」
 画面の向こうのミランダが、明らかに緊張を解いて大きく息をついていた。
 無意識に片手を長い髪に当て、何から話したものかと考えを巡らせているようだ。アレンはその間に、改めて彼女を観察した。
 先ず目につくのは、指の間からこぼれる豊かな黄金の髪と、その額縁に彩られた、細面の白い顔だ。陶器のように透き通る頬に少し赤みがさしている。オレンジ系の赤いルージュが細い顎のラインを際立たせる様は、彼が彼女とロイズ氏のもとを去ったあの日の記憶と寸分の狂いもない。
 ミランダ・ニコルの若さと美しさが、10年を経てもなお保たれる秘密をぜひ知りたいものだと、アレンはつくづくと思った。
 「フリント・ロイズが行方不明よ。
 3年近く前から一度もアンドロメダに戻って来ないし、連絡が取れなくなってからも2年近く経つの。
 警察には去年から相談してるけど、家出人程度にしか思われてなくて、何もしてくれてないみたい。手がかりはあるんだけど、何から手をつければいいのか…。」
 
 『ピーター・アレン!』
 アレンの脳裏に、その昔どこかの宇宙港で、盛んに両手を振り回しながら自分を出迎えてくれたフィルモア人の姿が浮かび上がった。あれからもう20年にもなるだろうか?
 派手な緑色の肌の色といい、豪放磊落とも言える性質と周囲に響き渡る大音声を持つ、典型的フィルモア人であるロイズ氏に限っては、「行方不明」などと言う単語から想起される様々なシチュエーションとは、完全に対極の存在であるように、アレンには思える。
 「3年近くと言ったか? 全くいい年をして、何をやらかしたんだあの男は!」
 「何年か前、あなたがドクター・カナエにインタビューしたって、噂を聞いて連絡してみたの。」
 「何だと? ドクター・カナエとは!」
 アレンは開いた口がふさがらなくなった。
 「フリント・ロイズはとことん現実主義の男だぞ。胡散臭い主義主張や怪しい人物とは、関わらないのが身上だった。それがドクター・カナエなんかと関わったってのか?」
 「それが、ドクター本人から自叙伝の出版を頼まれたらしいのよ。編集者として集大成の仕事だって、とても張り切っていたから…。」
 「まあ確かに、3年前と言や、宇宙の果てを発見したとかいうカナエの論文がアンドロメダじゅうで話題になってた頃だがな。だからこそ俺も取材に行ってるわけだが…。ただ、カナエ本人は論文の曖昧な点を指摘しても無反応で、とんだ食わせ者って感じだったぞ。記事にするのは結局諦めざるを得なかったしな。
 そう言や、その後しばらくして、奴も論文と一緒に姿を消しちまったんじゃなかったか?」
 「そうらしいわ。ドクターのことは私、何も知らなかったんだけど、私立探偵が教えてくれた。」
 「…探偵だと?」
 「雇ったのよ。仕方ないでしょ、警察が役立たずなんですもの。」
 「だったら、俺に何の用なんだ?」
 「彼、まだ若いのよ。経験が足りないの。だから、ロイズをよく知ってるあなたに調査協力を頼めないかと思って。」
 「ちょっと待て。ホルス出版の小説がまだ…。」
 「出版社には、私から事情を話してあるわ。」
 「やけに手回しがいいじゃないか。どうせ売れない作家だから、好きなようにこき使えとでも言われたか?」
 「…ピーター。」
 「…分かってるよ。今のはちょっとした冗談だ。それで、俺はいつそっちに向かえばいいんだ?」
 「実は、探偵がもうそちらに向かってるの。今日明日中には着くはずよ。名前はブラウン。J・Mブラウンよ。」

 アレンは通信画面が消え、何も写らなくなった端末から目をそらし、大きく開いた天窓の外の景色を眺めた。
 その若い探偵は、ミランダ・ニコルとロイズ氏の、そしてその二人のもとを去らねばならなくなった自分の事情を、どこまで知らされているのだろう?


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