アンドロメダの歌姫(第2話)
アンドロメダ

 「フリント・ロイズ出版社」
 茶色い金属板に古めかしい書体で彫られたプレートが、ホコリにまみれて傾いている。扉の前でしばし眺めていたアレンは、こみ上げてくる懐かしさに思わず目をしばたたいた。
 追われるようにここを飛び出してから、10年以上は経つのだろうか?
 あの頃は思い出すたび苦々しくて、懐かしさを覚える日が来ようとはとても思えなかったのに…。
 傍らで若い探偵がカードキーをさし込もうとしたが上手く入らず、キーボックスをガチャガチャやっている。横からアレンがそのガチャ箱を殴りつけると、「ピー」という音とともにカードを受け入れ、数秒後に扉が開いた。
 探偵はアレンを尊敬を込めた眼差しで見つめ、声をかける。
 「当時の最新型も、10年経つとこんなものなんでしょうね…。」
 「いーや。キカイのくせに、10年前から殴り付けんと働かねーやつだったな。」
 探偵があっけにとられているうちに、アレンが先に中に入り、事務所内をざっと見渡した。
 入ってすぐ右手にあったはずのアレンの端末デスクが、巨大なホロヴィジョンのスクリーンに取って代わられている以外は、記憶とほとんど食い違いはないようだ。
 「出版事務所にこんなでかいスクリーン置いて、仕事になってたんですかねぇ…?」
 探偵がアレンと同じ疑問を口にした。
 「…まあ本を造ろうなんて人種は、トレンド情報の収集は必須だからな。何の役にも立たない、ってこともないだろうが…。」
 「でもこの大きさ、どう考えてもホロムービー観賞用ですよ。情報目的で見るなら、この半分でも大きいくらいだ。」
 「仕方ないさ。君の依頼人のミズ・ニコルが、大のクラシック映画ファンだったんだから。」
 「そういえば、ミズ・ニコルが秘書として雇われた当時、ロイズ氏はあなたとのコンビをまだ解消してませんでしたよね?」
 アレンは目をむいた。
 「コンビだと? 俺は誰ともそんなもの組んだ覚えはないぞ。単にロイズ氏の事務所に間借りしてたってだけの話さ。」
 「でも、いくつかご一緒に本を出されたんでしょう?」
 「ロイズ氏に頼まれて、事務所の家賃代わりに働いただけの話さ。」
 探偵が首をひねった。
 「不思議ですねぇ…。依頼人は、あなた方2人がとても信頼しあっていて、その絆が羨ましかったと話されてますが。」
 アレンは一瞬遠くを見る表情になって、それに答えた。
 「…そうだな。確かにロイズ氏は信頼出来る男だった。その意味では、フィルモア人の典型では決してなかったと言える。
 知ってるだろ? フィルモア人の商人と、まともに取引する間抜けはいない。絶対に本物だと請け合って対価を取っておいて、偽物をつかませるような連中さ。だがロイズは不思議と、自分の言った約束は守る男だった。フェアプレイの精神を知ってる、稀有なフィルモア人だったかも知れんな。」
 探偵はアレンの話をいちいち、手に持ったメモ用の小さなレコーダーに記録している。アレンがそのレコーダーをひったくり、マイクに向かって大声で怒鳴った。
 「ところで質問だが、ミスター・ブラウン! お前ホントに、プロの探偵か?」
 若者は悪びれもせず、諦めたような表情で頭をかきながら肩を竦めてみせた。
 「やっぱりバレましたか。さすがですね。
 ホントは僕、アンドロメダ・イエールの3年生です。探偵業は、夏休みのアルバイトってことで。」
 アレンはヒョウと口笛を鳴らす。  「イエール大だと? そっちこそ、予想に反してずい分優秀なんだな。専攻科目は?」
 「汎銀河文化人類学。」
 「…なんてこった! 将来は旅行記者にでもなるつもりなのか?」
 「どうでしょう? 具体的には、まだ何も考えてなくて。この仕事で何かつかめるんじゃないかって期待してはいるんですけど…。」
 アレンの深い記憶の底から、一つの残像が浮かび上がってきた。
 あの若者も、出会った時は大学生だと言っていた。短い金髪と茶色の瞳まで同じとは、偶然とはいえどのような符合なのだろう?
 「…ミランダは君のように優秀な青年を、どこで見つけて来たのかな?」
 「去年の夏休みにバイトした、名画座喫茶ですよ。ミズ・ニコルは常連客で毎日のようにお越しになって、声をかけて下さったんです。
 あなたのおっしゃりたいことはよく分かります。でも僕も、報酬を約束された以上生半可な気持ちで引き受けたりはしません。僕なりにベストを尽くすつもりでいますから。」
 皮肉は一応、通じたようだが…。
 「まあとにかく、これで主従関係がはっきりした訳だ。」
 「もちろん。例えアルバイトでも、そう名乗る以上は僕が探偵ですから。」
 アレンは若者のこの言葉を、生意気だと諌めるか頼もしいと捉えるのか、迷ったおかげですぐに反応出来なかった。
 「…まあ、仕方ないだろうな。」
 いつの間に俺は、こんなに諦めがよくなったんだ? 考え込んでいるアレンを尻目に、今度は若者が部屋の奥へと進み、ロイズ氏の端末デスクに歩み寄っていた。
 「ムダ話が長引きましたね。さっそく調査を始めましょう。」


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