アンドロメダの歌姫(第3話)
アンドロメダ

 「アンドロメダの警察が、ひと通り調べたんじゃないのか?」
 端末にかがみ込んでいる若い探偵に、アレンが後ろから声をかけた。
 「でもここからは何の手掛かりも出なかったって聞きました。もしかしたら、何か見逃されてるかも知れませんし。」
 「驚いたな。警察はいつから、たかがアルバイトの学生探偵に調査情報を流すようになったんだ?」
 「もちろん、僕も正確な情報かどうか疑わないわけじゃないですけど…。でも元カレに頼まれれば、教えたくなるのが女心みたいで。」
 探偵は顔を上げようともせず、アレンの皮肉にやり返してきた。
 「なるほどな。君みたいな坊やに、何でミランダが金を払う気になったのか解せなかったが、少しは役に立ってるわけか。…いや、ちょっと待った!」
 アレンの方も、皮肉な調子を改めようとは毛ほども考えていないらしい。若者の頭の後ろから端末画面を覗き込み、とっさに右下の、『三級品』と書かれた緑の表示を指さした。
 「何ですか?三級品…って。」
 言いながら探偵がそのフォルダを開くと、あられもない若い女性の豊満な胸が、画面いっぱいに広がった。
 「わわわ! ミスター・アレン、知ってたんなら教えて下さいよ。だけどこのファイルも、とっくに調査済みなんじゃないですか?」
 「ちょっと、乳首に触ってみろよ。」
 アレンの左端の口元が、いつもの調子でひん曲がっている。
 「ななな…。まさか、触ると柔らかかったりしないでしょうね…?」
 戸惑っている若者の後ろから手を伸ばし、アレンが画面右側の乳首に触れると、一瞬波打つように巨乳が揺れ、ブラックアウトして『警告文』という大きな文字が現れる。
 「…このコレクションはフリント・ロイズ個人の収集物である。18歳未満の青少年及び警察当局の目に触れさせることを禁止する…だそうですよ。下にパスワード画面も出てきました。」
 「2人とも成人だから、問題ないだろ。パスワードは『黄色い看板』だ。」
 「は? 何ですか『黄色い看板』って…」
 「いいから、早く入力しろよ。」
 エンターキーが押された瞬間、画面は星の海に切り替わっていた。
 「これ、ペルセウス座方面の星図ですよ!
 驚きました、アダルト画像は目くらましだったんだ! 三級品とか黄色い看板って、どんな種類の暗号なんですか?」
 若者は心底興味を惹かれているようだ。アレンは思わず後頭部に手を持っていった。
 「なに、暗号ってほどのもんじゃない。広東語は今でも、香港島や中国大陸の一部で使われてるはずさ。」
 「広東語? ああ、そう言えばご出身が香港島なんでしたっけ。」
 「まあな。三級品ってのはその広東語で18禁映画のことで、その昔、香港島の風俗店といえば黄色い看板が目印だったんだ。」
 「あくまでアダルト系の収集品だと思わせるわけですね。最初に巨乳が出た時点で、警察もパスワード解析までして中を見ようとは、思わかったでしょうし。」
 「今回は連中もただの家出人だと踏んでるらしいから、誤魔化せたんだろうがな。おっと待った、何か録音もされてるらしいぞ。」
 アレンが音声出力のキーを叩くと、懐かしいロイズ氏の声が流れ出す。

 『…明日からしばらく、事務所を離れるので記録しておく。
 ドクター・カナエの招きに応じて、“宇宙の果て”なる場所まで行動を共にすることになったのだ。ランデヴー・ポイントはペルセウス座のアルゴルだが、そこから先はアルゴルに着くまで教えてもらえないらしい。
 博士の最近の評判を聞いて不安になっているところだが、仮説の真偽をはっきりさせる事が出来るなら、それだけでも価値ある仕事だと信じよう。…』

 「ロイズ氏の秘密日記みたいなものでしょうか?」
 「そんなところだ。ライバルの出版社に手の内を知られないよう、取材やインタビューの記録は全部、ここに放り込んでたらしいな。」
 「とりあえず、アルゴルに行ってみるしかありませんね。惑星が12個もありますけど…。」
 若者が端末のスイッチを切って、立ち上がった。
 「そっちの方はどうだったんだ? ここに来る前、カナエのオフィスも覗いたんだろう?」
 「ガラタの豚、ですよ。」
 「何だと?」
 「ドクターの元秘書って方に会えたんです。もし自分やロイズ氏に何かあったら、ロイズ氏のご家族に伝えるよう言いつかったとかで、それが『ガラタの豚』って言葉だそうです。僕にはいったい何のことだか…。」
 アレンは猛然と、切れた端末のスイッチを入れ直し、キーワード検索で『アンドロメダ聖書協会』の画面を引っ張り出した。
 「聖書ですか? 何でまた…。」
 若者の声を無視して、聖書の本文検索に『ガラタの豚』と入力する。程なくして、画面に聖書の本文が現れた。

 『…イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。
 この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。
 これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。
 彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。
 イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」
 イエスが、「汚れた霊、この人から出て行け」と言われたからである。
 そこで、イエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った。
 ところで、その辺りの山で豚の大群がえさをあさっていた。
 汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。
 イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。』

 「新約聖書マルコによる福音書、第5章2節〜13節だな。君は子供の頃、教会には通わなかったのか?」
 若者はばつが悪そうに肩をすくめ、
 「あなたは通ったんですね?」
 と、逆に質問してきた。アレンは一つうなずき、
 「両親ともカトリックだったから、否応なしだ。」
 と嘆息して見せた。
 「しかし、何が幸いするか分からんもんだ。ドクター・カナエの目的地が分ったかも知れん。」
 「この文章の、どこに書いてあるんですか?」
 きょとんと取り澄ました表情の若者に冷水をぶっかけてやりたいと、アレンは本気で思いながら端末を指さし、思い切り巻き舌で読み上げる。
 「…イエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」…。」
 若者はアレンの剣幕を恐れるでもなく画面に顔を近づけ、その指先を食い入るように見つめながらつぶやいた。
 「どうやらアルゴル星系第5惑星、レギオンに間違いありませんね…。」


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