アンドロメダの歌姫(第4話)
アルゴルへ…

 Void…。
 アレンは思い浮かんだ単語を、無意識に呟いていた。
 宇宙旅行で唯一不満なのが、移動の宇宙船で窓外の景色の変化を楽しめないところだ。
 地球から見れば全天をおおって何十億と輝く星々も、実際には互いに何百光年もの距離があり、その間にはただ暗闇が拡がっているだけだ。
 それでも通常空間を航行すれば、何かの拍子に未知の星間物質や超新星爆発の残光に出くわす可能性もゼロではないが、ひとたびワープ航法の号令がかかり、亜空間(サブスペース)トンネルに突入すればそのわずかな可能性もついえてしまう。
 そして近来の宇宙旅行は大半の時間がワープ航法に費やされ、悪くすれば何ヶ月もの間、長いトンネルに入った状態の宇宙船内で過ごさなければならなくなる。
 それが恒星間旅行。銀河を股にかけるとは、結局そういうことなのだ。
 旅行記者を引退すると決め、最後の取材旅行に旅立ったのは4年前だが、窓外の暗闇だけを見つめているとほとんどタイム・ラグを感じない。むしろ辺境に引っ込んで、ホロ・ノベルの執筆に明け暮れた時間の方が夢でも見ていたように感じる。
 ただ一つ、あの頃と違っているのは一人旅ではないというところだ。
 取材旅行に誰かを伴うことはあり得なかったし、仕事以外で旅する時も道連れが必要だと感じたことは一度もなかったアレンだから、同じ船室で赤の他人と2週間過ごさねばならない現状は、彼を落ち着かない気分にさせていた。
 若い探偵が自分の旅行記者時代の武勇伝を聞きたがっているのは分かるが、どう話しかけたものか、アレンにはそのきっかけが掴めないままだ。
 全くもって、これはフェアじゃない。
 アレンがそう思いかけた時、どこからか懐かしいアロマの香りが漂い、驚いて振り返ると、若者が船室備え付けの2つのマグカップをトレイからテーブルに移しているところだった。
 「驚いたな、レギュラーコーヒーとは、かなり値が張るんじゃなかったか?」
 「ご心配なく。僕もコーヒー好きなもんで、豆は依頼人が持たせてくれたんです。あなたがお好きとかでコロンビアを…。僕には豆の区別までは、出来ないんですけどね。」
 確かにフェアじゃないな。ブラウンは彼なりに気を遣い、努力もしてる。今度は俺の番か。
 「やっぱりミランダか。まあ何にしても、故郷から遠く離れたこんな暗闇の中でも、好きなコーヒーが飲めるってのは有難い。感謝してるよ。ミランダにも、君にもな。」
 若者が照れくさそうにほほ笑んでいる。このぐらいの歳であれば、素直な分かりやすい反応は美徳に違いない。
 「そういえば君は、2日以上の長い宇宙旅行は初めてだと初日に聞いたが、その後どうだ? 出発してほぼ1週間経つわけだが…。」
 若者の向かいの椅子に腰を降ろしながら、アレンはようやくチャンスを掴めたと感じている。
 「…そうですねぇ…。正直言って、期待してたのとはかなり違います。恒星間航行って、もうちょっと変化に富んでるかと思ってたんですが、実際は…。」
 「そう。実際はただの亜空間トンネルだ。ただ、サブスペースってのは本来、何が起こるか分からないスリリングな場所らしかったんだがな。」
 「亜空間センサーの性能が向上しましたから、事故のニュースは滅多に聞かれなくなりましたね…。
 そういえば、亜空間での事故で仕事仲間を亡くされたとか?」
 「地球政府の公式発表だな、そりゃ。実際は事故じゃない。プレアデスの紛争空域で、テロリストの内輪もめに巻き込まれちまったのが真相だ。
 先輩夫婦の乗った船がワープ航法に入ったとたん、仕掛けられてた爆弾によるエンジン爆発で通常空間に戻れなくなった。衝撃でどこに飛ばされたのかも分からないまま、船はいまだに亜空間のどこかを彷徨ってるはずさ。」
 「それって星間問題じゃないですか! どうして政府はテロリストに抗議したり、捜索させたりしないんですか?」
 「地球政府だってバカじゃない。抗議はしてると思うが、それ以上は連中に攻め入る口実を与えるだけだからな。たかが一般市民2人のために、そんなリスクは冒せないさ。」
 アレンはしばし瞑目し、ゆっくりとコーヒーを飲み干した。
 美しかった先輩の妻、シーサリア星人の横顔が甦ってくる。
 「…だからあなたは、一人で旅する道を選んだんだ。」
 目を開くと、若者の真っ直ぐな視線とかち合った。
 「大切な誰かを失いたくなかったから。そうでしょう?」
 この若者の目は節穴じゃない。アレンは真っ直ぐなその瞳を見返した。
 まだ経験は足りないかも知れないが、いつか花開く時が来るだろう。だが今は…。ふと逸らせた視線を、若者は別の意味に解釈したらしかった。
 「すみません! 出すぎたこと言っちゃって…。ホントは僕、依頼人のことが知りたくて。
 ロイズ氏の秘書として雇われる以前、アンドロメダの酒場やクラブで歌ってたって聞いたんですけど、ホントなんですか?」
 「本当さ。歌わなくなって十数年は経つはずだが、未だに懐かしがるファンが大勢いる。伝説の歌姫そのものだったよ。」
 「…彼女の歌を聞いたことが…?」
 「あるさ、もちろん。何しろロイズ氏がマジ惚れちまって、彼女の店に通うのに付き合わされてたんだからな。」
 「…どうして歌をやめちゃったんでしょう?」
 「ミランダの本意じゃなかったのは確かだがな。とある酒場で歌った時、そこをシマにしてるギャングのボスに惚れられて、身売り話が持ち上がった。店では最初のうちこそ断わってたが、例によって営業妨害が始まって、ミランダが自分から店を出て行くと言い出したんだ。それを知ったロイズ氏が、俺を含めた仕事仲間をかき集めて、身売りされる当日、店に来たギャング共と大乱闘。見事守りきって、行き場のなくなった彼女を秘書として雇って匿うことになったのさ。」
 「酒場の大乱闘って…。まるで西部劇の世界じゃないですか!」
 「おっと、君が西部劇を知ってるとはなぁ!」
 「なんたってクラシック映画オタクですから、僕。」
 空になった2つのマグカップを超音波洗浄機に入れようと席を立ったアレンに倣って、若者も立ち上がり、2人はゆっくりと窓辺に歩み寄る。
 「ミスター・アレン。なぜ親しかった2人の許を去ったんですか? 依頼人もロイズ氏も、そのことであなたに裏切られたと感じていたようですが…。」
 アレンは答えず、魅入られたようにじっと窓外の虚空を見つめ続ける。
 若者はアレンからマグカップの載ったトレイを引き取り、無言のまま洗浄機のある続き部屋のキッチンに入って行った。


≪前ページ   ≪目次へ戻≫   次ページ≫

(C)森 羅 2007- All rights reserved