Warp Light -虹の航跡-(第7話)
数日後、短い休憩時間にパリスが厨房でミディの姿を探すと、彼女はハリー・キムと一緒にいた。
2人は厨房の一番奥に鎮座する、巨大な冷凍庫の扉に寄りかかって立ち、何やら楽しげに笑い合っている。何人もの料理人やウェイター達が飛び回り、まるで戦場のような喧騒のさ中、そこだけフォースフィールドで守られてでもいるようだ。 その様子に深々と溜め息をついたパリスが、フロアに戻るため踵を返そうとする直前、こちらに向かって眼を上げたミディの瞳を捉えた。 ‐終わっても帰らないで。ここで待ってて、今夜。‐ 頭の奥に直接響いた彼女の声は間違いようもない。パリスは驚き、改めて少女を見つめたが、彼女は既にキムの方に視線を戻し、話に耳を傾けている。 夢見心地でフロアに戻り、そのまま仕事を続けたパリスだが、彼女に会える喜びよりも戸惑いばかりが時間と共に大きくなってゆく。どう考えても、これは友への裏切り行為に繋がりそうだ。ミデイはまだ子供だから、たぶん理解できないことだろうが…。だとすればなおさら、今のうちにはっきりさせておかなくちゃな。 そして真夜中。 冷凍庫の扉の前に1人で立っている彼女を見るまで、パリスはちゃんとそのつもりだった。 「待ったわ、トム! この間はほんとにありがとう。」 輝くような笑顔に、パリスは思わず後ずさる。 「助けたのは僕じゃなくて、ハリーだと思ったけど?」 「もちろんハリーはとってもいい人。でもそれだけだわ。あなたとは違う。」 腰をくねらせるような仕草で身体を寄せてきた少女にパリスは泡を食い、身を翻して避けたつもりが、背中が壁際の食器棚にぶつかった。 「そ、そりゃハリーはヴォイジャーが初任務だから、経験が足りないのはしょうがないさ。でも俺なんかよりずっと真面目で誠実だし…。」 「…そういうことじゃないの。」 ミディが思い切り背伸びをして、パリスに顔を寄せて来た。小ぶりで形がよく、瑞々しいピンクの唇が目の前に迫り、パリスは生唾を飲み込みながらも少女の両肩に手をかけて押しやると何とか距離を保つ。 「とにかく、君はまだ子供だし、先に声をかけたのもハリーなんだから。いきなりこんなこと、絶対よくない!」 輝く笑顔が見る見るくもり、少女の瞳に涙がせり上がる。 「やっぱり私たちシーサリア人のこと、何も知らなかったのねトム…。」 「そりゃ何てったって、俺たち遠くから来たから。シーサリアって、アンドロメダのどの辺にあるんだ?」 パリスがそう尋ねながら、食器棚の下から2つのスツールを見つけて引っ張り出し、冷凍庫の扉の前に並べて2人で腰を降ろすと、少女の顔に謎めいた笑みが戻っている。 「…分からないの。」 「分からないって、自分の生まれた星が?」 「実は私たちシーサリアの母星は、ずっと昔に太陽の超新星爆発に巻き込まれて消滅したっていう、言い伝えしか残ってないの。だからみんな、ディアスポラなのよ。」 「へーえ、失われて故郷って訳か。何だか今の俺たちみたいだなぁ…。」 「そうね、だからこんなに惹かれるのかも。」 ミディ・キャルは横目でちらりとパリスの様子を覗い、先を続ける。 「…だからこそ、シーサリア人は春を売る以外に、生き残る術がなかったのよ。」 「何だって?…ちょっと待った、シーサリア人ったって女性ばかりじゃないだろ? 男どもに働かせりゃ…。」 「それが、どんな異星人と契ろうと、シーサリア人は女の子しか産まれないのよ、トム。」 「本当なのか? だから、君たちは…。」 「そう。だから私たちは、第二次性徴が始まる少女の頃から、男たちに春を売ることを覚えるの。そうして星々を巡りながら、心から愛せる男性と出遭ってどこかに安住できる日を待ち続けてる…。」 「なぁミディ。その話、ぜひハリーにも聞かせてやって欲しいな…。」 「…あなたの言動がいつも、本音と裏腹なのもちゃんと分かるわ、トム。」 「いつもって訳じゃないさ、時々だよ。それじゃ、今日は楽しかった。俺はこれで…。」 「…ちょっと、トム!」 「2人でこうやって会うの、これで最後にした方がいいと思うんだ。だって…。」 そう言いながら立ち上がりかけたパリスだが、少女に手首を思い切り引っぱられてバランスを崩した。 ミディ・キャルの柔らかな唇が触れた瞬間を、パリスは生涯忘れることはないだろう。頭の中に何かの輝きが飛び込み、弾ける感じで、視野が一気に拡がった。ちょうど2千メートル級の山の頂上から眺め降ろすような感覚だ。 パリスはしばしその感覚に酔い、その後どうやってロイズ氏の事務所に帰り着いたか覚えていなかった。 翌日昼近くなって、アレンに起こされたパリスが言われるまま、ロイズ氏のオフィスに入ると、クリームチーズを添えたベーグルと果物のブランチが用意され、既に食事が始まっていた。 「やっと起きたか。昨夜は刺激的な夜だったらしいなぁトム! ガハハハハっ!」 「止めとけロイズ。食事時に相応しい話題か考えろって。」 アレンが明るくフォローしてくれたが、隣の席に着こうとするパリスに、ハリー・キムは目を合わせようとさえしない。 「ミディのことを言ってるなら、彼女は未成年ですよ。この俺に、ロリコンの趣味があったとはねぇ…。」 言いながらキムの様子を覗うと、食欲をなくすほどの怒りではないらしく、クリームチーズたっぷりのベーグルに無言でかぶりついている。パリスも半分にスライスされたベーグルの一切れを大皿から取り、小皿に添えられたクリームチーズを塗りたくりながら声をかける。 「何か言いたそうだな、ハリー?」 「ゆうべ仕事のあと、一人でどこ行ってたんだよ?」 こいつはいつでも直球勝負だったな。だったら俺も、ジャストミートで返すか。 「厨房で、ミディと会ってた。」 「なっ…! ロリコンの趣味はどうとか、今言ったばかりじゃないか!」 「だから、何事もなかったさ。彼女の母星にまつわる、昔話を聞かせてもらったっだけだよ。なかなか刺激的な物語だから、お前もぜひ聞かせてもらうといいぞ。」 「…君がそう言うんなら、今夜にでも声かけてみようかな?」 そう言ったキムの表情には、いつもの穏やかな笑みが戻っていて、パリスは心からほっとした。 「ところでお二人さん。食事が済んでからでいいんだが、アレンの方の調べがついてな。君たちのシャトルらしい機体が眠ってる倉庫の場所が分かったそうだ。今日にでも確認に行ってみないか?」 パリスとキムが、アンドロメダに飛ばされて初めて、心からの笑みを交し合っている。傍らのアレンもつられて笑顔になりながら、マグカップにコーヒーのお代わりを注ぎ入れた。
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