アンドロメダの歌姫(第12話)
 結局、一昨日引き返した場所までという条件ながら、2人の心意気にほだされたガフも同行してくれることになり、彼とアーカムをその場所に残してアレンとブラウンは奥に進んだ。
 やや下り坂の急カーブを右に曲がると、待っている2人の姿はもう目に入らない。最初に来た時もこのあたりで空気が変わるのを感じ取ったアレンとブラウンだが、気温が明らかに数度は下がった感覚で、身に着けているジャンプスーツやジャケットの温度調節機能が故障したのかと思わせるほど肌寒さが増してくる。
 先頭を歩くのは、例のリストウォッチ型分析器を身につけたアレンで、後ろに続くブラウンが時折不満そうに小さなため息をついている。
 「…ちょっと待った、このあたりに何か…。」
 突然立ち止まり、分析器から目を上げたアレンが、ブラウンを振り返った。
 「行き止まりですね。見れば分かりますよ。」
 前を向いたアレンがあんぐりと口を開けている。
 「そんなアホな…。確かに数値に多少の揺らぎはあるが、こっちのデータではこの先にデカイ洞窟があるはずなんだ。その中にCMB波が吸い込まれるように消えて、感知出来ない領域がある。…ってことは、待てよ…。」
 アレンがリストウオッチの細かいスイッチパネルを指先で操作すると、文字盤部分の中央から金色の細いビームが放出された。それを行き止まりの壁に向けると、ほどなくして、堅牢そうな岩壁が空気に融けるように消えてゆく。
 「やっぱりここが『次元の壁』だったのか…。特異点より外側にあるとは思いもしなかったが…。」
 「うわぁ、ものすごい洞窟ですね!
 この上の大都市にあったホテルが、丸ごと入りそうな大きさですよ!」
 思わず声を上げたブラウンの視線を追ったアレンも、感嘆の吐息を漏らした。そこはまさに、広さや大きさだけでなく、奇岩の芸術とも言える荘厳な神殿の様相を呈している。
 そしてその神殿空間の中央に、奇妙な球形の浮遊物があった。
 大きさは直径数十センチといったところだが、コアに当たる中心部分には漆黒の闇を抱え、周囲の球体部分は電磁場のようなフィールドで成り立っている。そんな球体が、地表数メートルの空間に浮かんで静止していた。
 「何なんでしょう? あれ。」
 「さて、俺もこれまで特異点の実物を見たことはねぇが、位置的にはあの暗闇がCMB波が吸い込まれる中心みたいだから、あそこが裸の特異点…ってことになるんだろう。」
 「思ってたより、ずっと小さいものですね…。」
 「だが密度の値は常識はずれだ。外側の球体フィールドがなかったら、俺たちとっくに折り畳まれちまってるところだぞ。」
 ふと視線を逸らせたアレンは、球体の真下の地面に黒い奇妙な物体がいくつか転がっているのに目を留めた。長細かったり、丸まっていたり形は様々ながら、どれも煤けたように真っ黒だ。
 突然その物体が何であるのか思い当たり、隣のブラウンに目をやると、彼はまだ一心に、球体中心部の黒い闇を見つめている。アレンは何気ない動作で若者と球体の間に割って入り、ブラウンが気付かないうちにことを進める方法を考え始めた。
 「ええと、俺はちょっとあの球体の傍に、出来るだけ近付いてみるよ。球体フィールドがある限り直接的な影響はなさそうだし、この分析器に球体のデータを収集して来る。君はここで、何かあった時のために…」
 とたんに、察しのいい若者の表情が険しくなる。どうやら失敗したようだ。
 「待って下さい!
 分析器をお持ちなのはあなただから、僕は後ろに付いてただけで、あなたはただの協力者なんですよ? 探偵の僕が調べに行かなきゃ、話にならないじゃないですか!」
 「探偵ったってアルバイトだろうが。報酬のことを気にしてるなら、ミランダには一緒に調査したことにしといてやるが…。」
 「そういう話じゃありませんよ! アルバイトだって、これは僕が頼まれた仕事なんです。最後まで責任持ってやらなくちゃ!」
 「分かったよ、全く…。」
 アレンは大袈裟に肩を落として溜め息をつき、身体をずらして若者にも自分の見たものが分かるように指さした。
 「あれが何に見える?」
 一見して、若者の顔色が変わる。
 「やっぱりここにいたくなっただろ? かまわんよ。俺はちょっと行って来るから…」
 「置いて行かないで下さいよ!」
 そそくさと歩き始めたアレンに、若者が食い下がる。いつしか二人は肩を並べ、同じ歩調で球体に向かっていた。
 真下に来ると、分析器の表示を確認するまでもなく、黒っぽい物体はバラバラにされた人間の遺体だった。全部で7,8人分はあるようだが、中にはほぼ、五体満足なものも混じっている。アレンはそんな中の一体に歩み寄り、仔細に眺めた。
 黒っぽいのは煤けているわけではなく、ミイラ化が始まっているからだと分かる。遺体の顔は眼窩が高く、鷲鼻だったこともうかがえた。ところどころに引っかかって破れたあとがあるものの、着衣もほぼ生前のままのようだ。そして…
 「ああ、なんてこった、ドクター・カナエだ!」
 その場にへたり込んでしまったアレンの後ろで、若者が息を飲む音が耳に届く。
 「まさか、ロイズもここに?」
 声が震え、自分がどれほど動揺しているか、アレンは気付いて愕然とした。共に働いていた頃のロイズは、ところ構わず場違いな大声でしゃべったり笑ったり、うっとおしい中年男以外の何者でもなかったはずなのに。
 「大丈夫です。編集長はきっとここにはいませんよ。とにかく確認してみましょう。」
 この言葉と、肩に置かれた手の力強さに驚いて、アレンは若者を見上げる。その瞳には本物の気遣いがあり、それに励まされて立ち上がった彼は、バラバラに散らばった人の身体の一部たちに改めて向き直った。


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