アンドロメダの歌姫(第14話)
 重い瞼を持ち上げると、周囲は薄暮の世界だ。
 ここはどこのホテルだっけ? と一瞬迷った後、襲ってきた激痛が全ての記憶を呼び覚ました。
 小さく呻いたアレンの手を、傍にいる誰かが握りしめてくれた。その掌から伝わる何かに励まされ、感謝の笑顔を返すと、若者もほほ笑んでいる。
 「…ルームサービスはまだかな?」
 「わがままな客ですねぇ…。」
 「金を払うんだから、当然だろーが。」
 「…やれやれ。」
 「ミスター・アーカムとは、連絡は取れたのか?」
 「…それが、何度か呼びかけてみたけど応答がなくて…。
 どうやら僕たち、例のビームの影響でどこか異空間に飛ばされちゃったみたいなんです。」
 「そうらしいな。例の球体は見当たらねぇし、目が覚めた時は一瞬、黄泉の国にでもいるのかと思ったぞ。」
 少しでも状況を把握しようと可能な限り首を回して周囲に目を配ると、小さな医療キットのケースのそばに、細いチューブがとぐろを巻いている。あれはまさか…?
 「…輸血用チューブじゃないか? 俺の血液型まで調べてあったとは驚きだな…。」
 若者は悪びれることもなく、穏やかな笑顔を返してきた。
 「そのおかげで命拾いしたんですから、いいじゃないですか。それに第一、調べたのはあなたのことじゃありません。鑑定に出されたのは僕のDNAで、あなたのデータは比較サンプルとして一緒に提出されただけですよ。」
 「ちょっと待て…どうして、俺の…?」
 間断なく突き刺さる、激しい痛みのせいで集中力が続かない。荒い呼吸を始めたアレンの肩を、若者が優しく包み込む。
 「今は少し休んで下さい。もう血は止まってるし、炎症も抑えてあるけど、細菌感染が心配ですから体力を温存しないと…。」
 「状況は分かってるよブラウン…誤魔化さないでくれ。どうして君のDNAを…俺のと比較する必要が…あったんだ?」
 答えにしばしの間があった。
 「実は…依頼人のミランダ・ニコルは、僕の実母なんです。
 そして母は、父親が誰なのか確かめる必要がありました。鑑定結果によれば、僕の父親は間違いなくミスター・アレン、あなただと…。」
 アレンの周囲で、薄暮の世界がゆっくりと廻りはじめた。
 肩に置かれた若者の掌から、暖かい感情の奔流が注ぎ込まれ、不思議と痛みが薄らいでゆく。円を描いて揺れる世界に身を任せ、アレンは再び、深い眠りに落ちていった。

 安定した呼吸をしばらく観察してから、ブラウンはそっとアレンの身体から手を離す。
 息子にヒーラーとしての資質を見出していたのは母だったが、自身でそれを実感したのは、これが初めての体験だ。
 ブラウンは安堵の吐息をつきながらも、油断なく周囲に視線を走らせた。しばらく前から、近くに何者かの気配を感じ取っていたのだ。


 「ミスター・アレン、ブラウン君、どちらでもいい、応えてくれ!」
 入り口付近の坑道で立ち往生のアーカムが、何度目かの空しい呼びかけを続けている。傍らのガフは壁にもたれて座り、ずっと二人の消えた入り口の方向に顔を向けていたが、やにわに立ち上がった。
 「もう3時間になる。これ以上待ってられん、俺も向こうへ行ってみる。」
 「ちょ、ちょっと待ってくれよガフ。気持ちは分かるが、ここに誰もいなくなったら、アテにしてる彼らが困るだろ?」
 「ならばあんたが、ここに残って待てばいい。」
 「こんな暗闇に、一人で置いて行くつもりかね?」
 ガフは心底、情けないという顔をした。
 「あんただって、警察官のはしくれだろうが。大丈夫さ、ここにいれば、そのうち誰かが探しに来てくれるだろう。」
 そう言ってガフが踵を返そうとした瞬間、アーカムのリストウォッチが目を覚まし、雑音交じりの人声を拾った。
 間髪を入れず、アーカムが反応する。
 「よかった! ミスター・アレン、ご無事ですか?」
 「ばかもん、発信元をよく確かめろ!」
 「すみません、フォレスト局長でしたか…。」
 「その様子だと、ミスター・アレン一行と連絡が取れていないんだな?」
 「おっしゃる通りで、ガフがそろそろ様子を見に行きたいと…。」
 「行かせるな。よけいな行動は慎めと言っておけ。それからもう一つ、こちらが本題だが、もうすぐブラウン探偵の依頼人ミズ・ニコルが、高速艇でレギオンに到着するそうだ。」
 「何ですって?」
 「驚いたのは、ミズ・ニコルが我々よりも、そちらの状況を把握してるらしいと思われるところでな。問いただしたらエムパスだと白状したんだが…。」
 「エムパス? 精神感応者のことですか? 宇宙空間を隔てても何かを感じ取れるなんて…。」
 「とにかく、そのミズ・ニコルが2人のいるところまで案内しろといって譲らない。だから我々がそちらに向かうまでは、よけいな行動は慎んでほしいんだよ。」
 「よく分かりました、局長。ガフにもよく言って聞かせますから…。」
 通信を終えるとアーカムは、不満そうな表情のガフにフォレスト局長からの指示をかいつまんで伝え、二人は揃って壁にもたれて腰を降ろした。
 「ミズ・ニコルって、それほど偉い奴なのか?」
 「彼女こそ、伝説の歌姫だよガフ。君は知らないだろうけどな。」
 壁の向こうの宙に浮かんだ球体が、その時ゆっくりと回転を始めたことを、二人は知る由もなかった。


≪前ページ   ≪目次へ戻≫   次ページ≫

(C)森 羅 2007- All rights reserved