アンドロメダの歌姫(第15話)
 アレンのために初めてヒーラーとしての力を使い、疲れ切ってウトウトしかけたブラウンは、後ろから近付いて来る足音に飛び上がりそうになった。
 慌てて振り返ると、艶やかな緑色の肌をしたフィルモア人の中年男が、どすどすと早足でこちらに向かって来る。まさかあの姿は…。ブラウンは傍らのアレンを叩き起こしたい衝動と戦いながらゆっくりと立ち上がった。
 「ご無事でしたか、ロイズ編集長!」
 「私を知ってるのかね? すると君はもしかして、ミズ・ニコルのとこの…。」
 「ブラウンです。J・M・ブラウン。」
 「おお、そうだった。確か母親の旧姓を名乗らせてるとミランダが言ってたっけな。しかし、こんなところでアンドロメダ標準語に出くわすとは。」
 若者のそばに腰を降ろそうと身をかがめたフィルモア人は、横たわるアレンの姿に愕然となった。
 「なんてこった! まさかただ眠ってるわけじゃあるまい?」
 「僕をかばって、球体からのビームを受けてしまったんです…。」
 「それでここへ飛ばされたわけか。おいアレンしっかりしろ、死ぬんじゃないぞ!」
 何も知らない編集長が、ようやく痛みから解放され、寝入ったばかりのアレンの肩を揺り動かす。慌ててブラウンが止めに入ったが遅かった。
 「…ぐあッ! クソっ!」
 盛大な呻き声と共にアレンが目を開き、ロイズの姿に思わず身を起こしかけたが、爆発した痛みでそのままドサリと崩れ落ちる。直後に激しく咳込み、口から鮮血を溢れさせるアレンに、ロイズがたじろいで腰を浮かせた。
 「ミスター・アレン!」
 その隙に顔色を変えたブラウンが手を伸ばし、アレンの右肩を両手でそっと包み込む。額に玉の汗を浮かべ、残る力の全てを両掌に集中させているようだ。
 アレンはしばらく、苦し気に咳込んでいたが徐々に呼吸が安定すると、若者の手を払いのけるようなしぐさをした。
 「もうしばらく眠って下さい、今は少しでも体力を…」
 「温存しないと、だろ? 分かってるが、ロイズとちょっと話したい。」
 ブラウンが不承不承にアレンから離れると、ロイズがその顔を心配そうに覗き込む。
 「一体どこをやられたんだ?」
 「右胸だ。どうやら見事に肺を貫かれちまったらしい。まったく俺としたことが…さ。」
 「だが狙われたのはあの子だったわけだな?」
 「そうらしい。理由はさっぱり分からんが…。」
 「そりゃ、エムパスだからだろうな。あの子も思考をブロック出来るはずだ。」
 「…そんなことまで知ってたとは…。」
 「母親からの情報だよ。ミランダ本人も、力は弱いが感応者だからな。秘書として一緒に何年か働いた仲だ、それぐらい私にも見通せる。」
 「…そういやフィルモア人の精神構造は俺たち地球人とは違うって、以前話してくれたっけ。」
 「覚えててくれたか。あんた方にも建前と本音、という言い方があるようだが、我々のは双方が完全に独立してる。意識と無意識、いつでもどちらにも切り替えがきくし、どちらの思考も完全にブロックすることが出来る。これが奴らのお気には召さないのさ。」
 「…奴らとは…例の特異点の向こうにいる、思考を吸い取る連中のことか?」
 「鋭いな、あんたと来た日にゃ。もうそこまで推理したか。
 気をつけろよ。奴らの次の狙いは、恐らくあんたら地球人だと思うぞ。ドクター・カナエがいたくお気に入りだったみたいだからな。」
 「…あのう、特異点の向こう…って、ここがそうじゃないんですか?」
 2人に背を向けて座っていたブラウンが、首だけ回して尋ねた。
 「これは私の推測だが、あの球体が裸の特異点だとすれば、ブラックホールにある『事象の地平面』に似た、エアポケット的な空間が存在してもおかしくないんじゃないかとね。」
 「そこが奴らにとって役に立たない、感応者やフィルモア人が捨てられる場所として使われてる、ってわけか。それならまだ、助かるチャンスがありそうだ…。
 あの子を頼むよ、ロイズ。あんたに頼めた義理じゃないが、この際仕方ない。俺がこのまま奴らの餌になるから、あの子を連れて帰ってくれ…。」
 そこまで言うと、アレンは力尽きたように全身の力を抜いた。弱々しく咳込むと、また口から血が溢れ出す。
 「いやだ! ミスター・アレン!」
 呆然と見つめるロイズの横で、若者が泣きながら差し伸べる手を、アレンが力無く振り払う。だが、若者の意思と力には敵わない。ブラウンは持てる力を総動員して、アレンの右肩に注ぎ込んだ。
 徐々に呼吸が落ち着いてゆくアレンと逆に、今度は若者の顔色が紙のように白くなり、その上半身がグラリと傾く。ロイズに支えられ我に返ったものの、もはやその手でアレンを癒すことは出来なくなっていた。
 「ロイズ、恩に着るよ…。」
 この言葉を合図にロイズが動き、ブラウンを抱えて立ち上がらせようとしたが、若者は頑固に動かず、なおもアレンに手を差し伸べようとしている。
 「やっと…やっと父さんに会えたのに…。こんなとこに置いて行けるわけないじゃないか!」
 「ブラウン、聞いてくれ。俺だってこんな…」
 若者を説得しようと、その手を取ったアレンの腕に巻かれたリストウォッチが、その時突然目を覚ました。
 雑音の向こうから聞こえてくるのは、透き通った女性の歌声だ。

 「…ああ、母さんが歌ってる!」
 「なんてこった!」

 若者とフィルモア人が同時に叫び、瞑目したアレンの目からは、涙の滴がこぼれて落ちた。


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