アンドロメダの歌姫(第17話)
 アレンが目覚めると、目の前にミランダの憔悴しきった顔があった。
 「…やあ、よく眠ったよ。」
 もう大丈夫だとほほ笑んで見せると、ミランダの瞳から堰を切ったように涙が溢れ、アレンの頬にぱたぱたと滴った。
 「ピーター…あなたまで失うところだったのね、私たち…。」
 「…ロイズだって、決して失ったわけじゃない。」
 静かだがはっきりとしたアレンの声に、ミランダの後ろからブラウンが顔を出す。考え深げな表情だ。
 「そういえば…いつかまた会おう、って仰ってましたよね。」
 「会えるはずさ、時が来ればな。あの薄暮の世界はきっと、俺たちがやがて行くところと繋がってるんだ。」
 アレンは若者の瞳を真っ直ぐに見返した。
 ミランダが指先で涙を拭い、目覚めたことをドクターに知らせるために出て行くと、病室には父と息子の2人だけになった。
 「なあ、ブラウン…いや、こんな呼び方はおかしいかな。本当の姓はニコルのはずだし…。」
 若者が盛大に吹き出した。
 「かまいませんよ、どちらでも。もう慣れてしまいましたから…。」
 「…ブラウン、どうも納得いかなくてな。君はどう見ても二十歳を越えてるが、母上と一夜を過ごした日から20年も経ってはいないはずなんだ。DNA鑑定の結果を疑うわけじゃないが…。」
 若者はこの質問を予測していたようだ。全く悪びれずに、肩をすくめた。
 「そうでしょうね。実は僕、12才の時に成長促進剤を処方してもらってるんです。だから本当は、まだ17になったばかりなんですよ。」
 「せ、成長促進剤だと?」
 アレンとしては、驚きで鸚鵡返しに尋ねるのが精いっぱいだ。
 「やっぱり、母と同じ反応ですね。母もびっくりして…大反対でした。でも、ハイスクールまでは年齢に関わりなくスキップさせてもらえたけど、大学は16歳以上でないと入学許可がおりない仕組みですから。
 僕としては一日も早く大学を終えて、あなたに会いに行きたかった…。」
 「後悔してるんじゃないだろうな…。」
 「まさか! あの薬がなかったら、今度の旅もあり得ませんでした。あなたは僕が思った以上の…」
 「…頑固じじいで悪かったな。」
 「とんでもない! 思った以上の悪ガキっぷりで、楽しませてもらいましたよ!」
 そう言うと声を立てて笑い始める。アレンがずっと昔に聞いた誰かの笑い声と、それはぴたりと重なった。
 胸にこみ上げて来るものを抑えきれず、思わず目を閉じると、ドアの開く音がしてミランダが戻った。
 「おめでとうピーター! あと2、3日様子を見たら、アンドロメダ行きの船に乗っても大丈夫ですってよ。」
 「やったぁ!」
 「あらJ・M、あなたまだいたの? 大学の休学届けがどうとか、言ってなかった?」
 「うわっ、忘れてた! 今日中に手続きしなきゃならないんだっけ。ありがと母さん、行って来る!」
 若者が慌てて、1階ロビーの端末目指して消えてしまうと、病室は静けさに包まれる。ミランダがベッド脇のスツールに腰を降ろし、持っていた飲み物のボトルの一方をアレンに渡すと、自分も一口飲んだ。
 アレンは飲み物に口をつけようとはせず、じっとミランダを見つめている。
 「来る途中の船の中で、ブラウン…あの子に痛いところを突かれたよ。」
 「どうして私たちから逃げ出したのか、訊かれたのね?」
 悪戯っぽいほほ笑み。顔の輪郭も流れる黄金の髪も、遠い日のキリアン・セータそのものだった。息子が輪をかけてそっくりに育ったのも道理である。
 「今さら詫びても、手遅れなのは分かってるが…。」
 声がかすれた。
 「詫びるだなんて…。あなたが私の中に誰を見ていようと、私はかまわなかった。一緒にいられるだけで充分幸せだったのに…。」
 知っていたのだ。それはそうだろう、彼女はエムパスなのだから。
 「…俺は自分が許せなかったんだ。この世にいない誰かの影をいつまでも追って、君やロイズを傷つけてる自分から、逃げ出しただけなのさ。」
 ミランダがまた泣いている。ベッドの中のアレンがその手を取って促すと、彼女は身を屈め、その頭を彼の胸に預けた。
 「この俺に、こんな日が来るなんて夢にも思ってなかったよ。あの子を産んでくれて、ありがとう…。」
 また会えたな、キリアン。アレンは階下の息子に、そっと呼びかけた。


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